近江の城38  

                                                                               



2021年に説明板が設置された城群

夏見城 2976
全景

城域?
A湖南市夏見  旧:甲賀郡甲西町
B
旧国道1号線(現県道4号線)の夏見の信号から山手に向かいます。約900m先、右手に三雲小の手前で左折し約100mほど行った右手に説明板があります。この背後が城跡と言われます。説明板の横は発掘調査がされ、真鍮製の「毛抜き」が出土した所です。どこかに城の説明板もあるようです。

C平城
F遺構等:説明板・(発掘遺物) 
G戦国期/夏見氏 
H満足度:凸
甲賀五十三家、夏見氏の城とされます。長享年間(1487〜89年)に夏見兵内が築城したとされるようです。長享元年(1487年)、将軍である足利義尚は六角高頼(行高)を征伐するため鈎(現栗東市)の陣を構えましたが、夏見氏などの甲賀衆は六角氏に味方しました。(甲賀五十三家は長享元年(1487年)<将軍/足利義尚>、延徳三年(1491年)<将軍/足利義材>、足利幕府が六角征伐を行った際に六角氏<六角高頼(行高)に従った甲賀国人が五十三家です。(その内、高頼(行高)より感状を貰った家が二十一家です。)) 天正十三年(1586年)、豊臣秀吉より改易され帰農したとされます。

J訪城:2015/08
     2023/10
遺跡説明板           「毛抜き」出土の箇所
宮島城  3974
説明板
城域(遺構ではないですな)
A湖南市平松  旧:甲賀郡甲西町
B西照寺
栗東インタから国道1号線を甲賀・鈴鹿方面に向います。途中、石部大橋の信号から県道4号線(旧:国道1号線)になります。県道4号線(旧:国道1号線)の旧甲西町中央近くの針の信号から山手に向かいます。約500m先の信号(JR草津線を越えた先の信号)を右折します。約200m先、甲西駅前の信号を左折します。250m先の路地に右折し、約200m先、西照寺を越えた左手に説明板があります。説明板のある裏手竹藪が城域のようですが、遺構はないようです。

C丘城
F遺構等:説明板
G室町期/宮島氏 
H満足度:凸
甲賀五十三家、宮島氏の城と伝わります。康正年間(1455〜57年)から応仁年間(
(1467〜69年)の間で宮島掃部介が築城したとされるようです。

J訪城:2023/10
   
岡之山城(平松城)  3975 
説明板
手前が南照寺・奥が松尾神社
A湖南市平松  旧:甲賀郡甲西町
B南照寺・松尾神社
栗東インタから国道1号線を甲賀・鈴鹿方面に向います。途中、石部大橋の信号から県道4号線(旧:国道1号線)になります。県道4号線(旧:国道1号線)の旧甲西町中央近くの針の信号から山手に向かいます。約500m先の信号(JR草津線を越えた先の信号)を右折します。約200m先、甲西駅前の信号を左折します。約500m先の右手道沿いに説明板があり、この一帯、南照寺・松尾神社まで城域とされますが、遺構は池の横の竹藪の中、郭跡程度でしょうか。

C丘城
F遺構等:説明板 
G室町期/宮島氏 
H満足度:凸
康正年間(1455〜57年)から応仁年間(
(1467〜69年)の間で宮島宗秀が居住したとされるようです。子の掃部介吉秀が鈎の陣では六角氏に属しました。元亀元年(1570年)、宮島資包は織田信長に降り属しましたが、天正十三年(1586年)、豊臣秀吉より改易されました。
J訪城:2023/10