近江の城019  

                                                                               

山寺城  1759
土塁

郭内
城跡全景

A草津市山寺町
B     

名神高速道栗東インタから国道1号線を大津方面に進みます。5Km先、草津3丁目の信号で左折し県道2号線に入り、1.6Km先の名神高速の陸橋を越え、400mで草津川の土手に登ります。そこを左折し県道113号線に入ります。土手沿いに800m進んで、右折し橋を渡ります。600m先で左折し山寺工業団地に入ります。400m先T字交差点を左折し山寺集落に向かいます。坂を下った500m先の山寺集落の入り口の右手竹薮が城址です。バスの車庫など城跡背後まで開発が進んでいますが、かろうじて郭と背後の土塁がL字に残っていました。

C丘城  D比高20m
F遺構等:郭・土塁 
G−−期/宇野氏 
H満足度:凸+

宇野氏の持ち城とされますが詳細不明です。
関津城も宇野氏やったけど、ここも詳細不明)
J訪城:2007/08
  
井上城  1758
尾根上

城跡遠景
A栗東市井上
 旧:栗太郡栗東町
B
名神高速道栗東インタを下り、料金所を出て最初の斜め左に下りて、信号を右折し県道55号線に入ります。2.4Km先の北の山の信号で右折し県道12号線に入ります。栗東トレセンを越え、北の山の信号から2.4Km先が山入の信号です。ここより1.4Km先が片山の信号ですが、その200m手前で斜め左に入り川沿いを進みます。600m先が井上公民館で、この北側の丘陵先端が城址です。丘陵先端下の民家裏手から沢沿いに登れる小道がありました。山に入るとすぐにその道はなくなります。尾根登り、奥まで進んで見たのですが、地籍調査の古い杭はありましたが、城址らしさは無かったです。資料では単郭方形の土塁が残っているようなんですけどね。ひとしきり山の中を歩きましたが、結局よくわからずでした。

C丘城  D比高40m
F遺構等:郭・土塁?
G−−期/−−氏 
H満足度:凸

詳細不明です。
J訪城:2007/08
   
伊岐代城  1761 
印岐志呂神社

城跡(神社)遠景
A草津市片岡町
B印岐志呂神社

名神高速栗東インタを下り、国道1号線を草津・大津方面に進みます。インタより2つ目の信号の上鈎(かみまがり)の信号で右折し県道31号線に入ります。3Km先でJR東海道線の陸橋を越え、さらに3Km先(花園・駒井沢町の信号を通過)の志那中町の信号で右折し県道26号線(通称浜街道)に入ります。100m先の片岡町の信号を右折し、500m先が神社です。集落からもはずれ、水田の中に広大な神社森が見えます。近くの片岡環濠集落や片岡城とも関係があるのかもしれません。

C平城
F遺構等:なし 
G−−期/−−氏 
H満足度:凸

詳細不明です。

J訪城:2007/08
 ※
岡村城  2950

城址碑と説明板
古代 岡遺跡碑と説明碑 
A栗東市岡
B
今は田んぼの畔に城址碑と説明板があるのみです。近くに岡遺跡があり、ここは律令制時代の郡衙(ぐんが)<群家とも言う>が置かれたところです。郡衙は郡の役人(郡司)が政務をとった役所とされます。また、岡集落には西端には膳所城の移築城門と伝わる門があります。




 C 平城
F遺構等:碑・説明板
G室町期/宇野氏
H満足度:凸
訪城 2015/03

関津城の城主の宇野源太郎の子の弥三郎家永が築城したとされるようです。家永は足利尊氏に属したようです。家永は歴応四年(1341年)に討死したとの記録があるようです。城は戦国期を通じて存在したようです。 <現地説明板より>

 ※