近江 | 関津城 |
ファイルNo0660 |
瀬田川沿いでは遺構の残る城跡の一つであったが、新道建設で大半が消滅の城
@ せきのつじょう |
道案内 | |||
瀬田唐橋から県道29号線を瀬田川に沿って南下します。途中、南郷洗堰を左に見て、南郷洗堰の信号から約1.6km先の令和大橋で瀬田川を渡ります。橋から約800m先の信号を越えて、坂を約300mほど行った右手に城跡の痕跡が残ります。主郭は国道の開通に伴い、消滅しています。 (平和台団地の先の池(曽根池)と湿地帯を挟んで東側に雑木林があり、ここが城跡です。) |
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訪城備忘録 | |||
2005年03月訪城 団地の突き当たりに駐車場になっている空き地があり、そこより東側、湿地帯の向こうが城跡ですが、渡る事ができませんので湿地帯に沿っていったん南側に歩きます。団地の東端の4軒の民家を越えると、4軒目の民家の横に細い道があり、雑木林に入れる道があります。そこを入るとすぐに相当広い平坦地の雑木林になります。雑木林を湿地帯に沿ってU字に曲がるように進んで、今度は雑木林の中を湿地帯に沿って北に歩きます。そのまま北に歩くと池があります。池の手前で右手側に10mほど登ります、登ったら、また北側に少し下りて行きますと、尾根の先端を削り込んだ感じの屋敷郭Uに到達します。 三方が土塁で東側背後が尾根側の斜面です。屋敷郭U北側には虎口があり、虎口を抜けると、枡形風の土塁で囲まれた空間(=ほんとに虎口郭って言う感じです)、右に進むと副郭(屋敷郭T)でしょうか?、やはり土塁に囲まれた削平地があります。その北側は曽根池になります。また、屋敷地の背後を登ると尾根斜面先端に三方を低い土塁で囲まれた小型(10m四方くらい)の削平地があります。北側に帯郭を伴います。ここは見張り台(ここが土蔵のようですが)のようです。この城跡は二度目の挑戦でした。今回はまず間違いないと思いますが、前回は雑木林に入って、さらに南側あるいは東側の尾根を探してよくわからなかった城跡でした。なお、夏場はマムシが出るそうです。ご注意を。 2010年09月訪城 新道が作られるようでこの城跡は破壊されるようです。2010年8月に現地説明会があったんですが、単身赴任のため行けませんでした。発掘調査で戦国時代の倉庫跡が見つかったようです。平和台団地側から入り、現場を見ましたがブルーシートに覆われて遺構は見られませんでした。屋敷郭とされる西側の二つの郭の西側土塁は残ってました。 2021年01月訪城 新道も開通して今はどうなっているかの再訪してみました。国道新道は開通しけっこう交通量があります。貴重な城跡ですが、現代の生活には消滅も致し方ないのかもしれない。この国道は信楽の国道307号線までストレスなしに行けます。山であった旧情も今は現代の切通になってますが、国道沿い西側にはふたつの屋敷郭の西側土塁は健在でした。北側の郭は発掘調査当時のままに放置された感じになってました。主郭側はどうかと思い登って見ましたが、やはり消滅している感じです。 |
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承久の乱(1221年)の功により宇野守治がこの地を与えられたとの事です。その後、代々この地を支配し、戦国期には佐々木六角氏の家臣であったとされます。 |
以前と現況の対比 |
2005年訪城 |
2010年訪城 |
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