能登 平式部館



ファイルNo4260


         土塁            

@ ひらかしきぶやかた 
  別名 町村邸

A住所:羽咋郡志賀町町
B目標地点:浄真寺
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:寺 

F遺構等:郭・土塁
G時代/人物:室町期/平氏
H満足度:凸+

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分


J撮影・訪問時期:2025年10月

  

道案内   ←平家庭園

のと里山海道(県道60号線)の柳田インタを下り、猫の目の信号を左折し国道249号線に入ります。約15km先、志賀町役場手前の高浜北の信号を左折します。約400m先の高浜バスターミナル前の信号を直進します。約500m先、余市橋詰の信号を左折します。約500m先の川尻橋詰の信号を右折し県道36号線に入り橋を渡ります。約800m先を左折します。約600m先を右折し平家庭園前を通り、約150m先を右折した先の左手上が浄真寺で、ここが城跡です。

訪城備忘録

寺は周囲の集落から一段高い丘の先端にあり、本堂の左手から裏手に廻ると墓地があり、土塁の痕跡があってさらに寺の背後は堀跡のように一段下がっています。

近くに平家庭園という史跡があります。6000坪の敷地があるようです。平家は江戸期は大庄屋であり、平式部太夫の子孫とされます。城跡も庭園も夕暮れの訪問であったので庭園は見ることができませんでした。

歴史

能登守護畠山氏の家臣の平式部大夫(平堯知?)の居館とされます。元々、平氏は所謂平家の落人とされ、平維盛の重臣であったようです。江戸期、子孫の町村の武右衛門家は天領の大庄屋を務めました。

平家門
  
土塁
西の虎口?
平家門
千鳥ヶ浜
得田氏館 f2889

@とくだしやかた
A羽咋郡志賀町コ田
  
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:集落 

F遺構等:土塁
G時代/人物:鎌倉期/得田氏
H満足度: 凸

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分


J撮影・訪問時期:2014年06月

鎌倉期の地頭の得田氏の居館とされます。得田氏は室町期も存続し、江戸期には前田藩長氏の家臣として存続したようです。

石田氏館 f4259

@いしだやかた  A羽咋郡志賀町コ田   C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:集落・畑 
F遺構等:堀・土塁 G時代/人物:鎌倉期/石田氏 H満足度: 凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:2分  J撮影・訪問時期:2025年10月

得田氏の家老の石田氏の館と伝わります。畑地になってます。遺構はよくわかりません。

    

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