能登 末吉城



ファイルNo4205


             主郭切岸            

@ すえよしじょう 
  別名 堀松城・笹山城 

A住所:羽咋郡志賀町末吉
B目標地点:西来寺・光念寺
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁?・説明板
G時代/人物:戦国期/畠山氏(平氏)
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2025年06月

  

道案内 

のと里山海道(県道60号線)の西山インタを下り、左折し県道116号線に入ります。約1.6km先で左折し西山台という住宅団地に入ります。約150m先で右折し、約1.7km先の末吉南の信号で右折し国道249号線に入ります。約400m先の末吉北の信号で右折します。約200m先左手が西来寺です。この入口に説明板があり、寺沿いの道を奥に入ると城跡への道があります。(西来寺から約100m先左手に光念寺があり、この裏手の観音堂からも登れます。)

訪城備忘録

城跡入り口に縄張り図付きのりっぱな説明板があります。 夏場ということもあり城内は草が多い上、元々竹藪ですので遺構は見えにくいです。 しかし、尾根上には堀切ひとつなく、空堀かなと思うところも自然地形的ですし、なんとも城のようで城でないという感覚になります。 

近くに高山右近の碑(+高山右近記念公園)があります。 右近の孫がマニラから密かに帰国しここに住みついたとされ、この墓碑を建てたとされます。一説にはマニラから遺骨の一部を持ち帰り、ここに埋葬したとも伝わるようです。確証がないので右近の墓ではなく右近の碑なんでしょうね。

説明板
歴史

築城時期は定かではないようですが、応永年間(1394〜1427年)に最初の築城があったようです。 文明九年(1477年)、畠山義統が七尾城の支城として築城し、平氏(へらし)(手筒氏)が城主であったようです。その後、河野肥前、松波丹波守義行らが城主であったようですが、天正四年(1576年)、上杉氏方として遊佐氏に攻められ落城したようです。前田利家<天正九年(1591年)>が能登に封じられた以降で、この城には利家の家臣の中川家範が城主であったようです。

    のろし台    尾根上
現地案内板より
  
山に入ってすぐの兵站地
空堀?
主郭
主郭背後の堀?
主郭下からのろし台へ
尾根上
観音堂側登り口
高山右近の碑 
高山右近記念公園     入口   
高山右近の碑
 クルスには「高山右近墓所」と刻まれてます。     

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