加賀 笠野鳥越城



ファイルNo4026

                笠野トンネルとその上の城跡遠望(トンネル右手)            

@ とりごえじょう 
  別名 

A住所: 河北郡津幡町七黒
B目標地点:笠野トンネル 
C形式:山城  D比高:70m 
E現況:山林 

F遺構等:(郭・土塁・堀・竪堀)・説明板
G時代/人物:戦国期/前田氏
H満足度: 途中断念
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  途中断念

J撮影・訪問時期:2024年04月

  
トンネル横の説明板

【道案内】
北陸自動車道の金沢東インタから国道8号線に入り富山方面に進みます。18km先、国道8号線バイパス刈安インターを下ります。下の刈安北の信号で左折し県道218号線に入ります。約1.2km、笠野トンネルを越えます。越えて右手が広くなってます。トンネルの上から北側が城域です。



【現況・訪城記録】
二日続けてチャレンジしましたが、結局断念しました。 初日はトンネル左手の説明板があるところのさらに左手にピンクのテープが括っているところがあり、ここから登り尾根に挙がって右手に廻り込むつもりでしたが、途中でピンクテープも消え、伐採もされていない藪を登るしかなかったですが、とれも進め無くなり断念しました。二日目はトンネル右手の民家の背後から入りましたが、竹藪が密集状態の上、途中から足もかけられない急斜面で約10mほどは登らないといけないところに達し、これ以上無理と断念しました。双方登るルートではないのかもしれません。ただ、二日目のルートは支尾根まで登れば支尾根上に遺構もあり、主郭に到達できるようですが、尾根上がどんな状態なのか不明です。

【縄張りなど=資料より】
尾根上に細かく堀切を設け、主郭南側・東側に竪堀がある程度の簡素な城です。遺構としてはあまり期待できるものではないのかもしれません。

【歴史】
元々は鳥越弘願寺の防御施設として一向一揆衆の城であったようです。天正十一年(1583年)には前田軍の城となり、目賀田又右左衛門、丹羽源十郎勢が守備していましたが、天正十二年、末森城が落城したという誤報で前田軍が撤退したところ、末森城から撤退してきた佐々成政軍が空城になっていたこの城を難なく奪い、久世但馬守が守備して、前田氏の奪回攻撃を何度も防いだものです。しかし、天正十三年(1585年)、佐々成正が豊臣秀吉に降伏、この城は前田利家の城となりましたがすぐに廃城になったようです。



  
  
  
城域遠望
地理院地図より(緑線は城域)
  
トンネル左横、説明板の先の土砂崩れ場所から城域の尾根を見る

近くの城・関連の城:鳥越弘願寺

          



富田和田山城 4027  

@ とみたわだやまじょう A住所: 河北郡津幡町富田  B目標地点:県道215号線刈安の信号
                        道8号線刈安北ランプ IRいしかわ鉄道倶利伽羅駅

C形式:山城  D比高:70m E現況:山林  F遺構等:郭・土塁?・(堀切)
G時代/人物:戦国期/冨田氏 H満足度:凸 I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:10分
J撮影・訪問時期:2024年04月

国道8号線刈安北ランプを下り、刈安の信号に向かいます。この間、約400mですが、これの中間に右折する道がありここに入ります。約200m先、正面の山が城跡です。カーブのところから西側にため池があり、ここが登城口です。ため池に向かって進み、ため池の右横途中から右側斜面に入り山頂へ斜面を直登します。(この城跡のある丘陵の反対側、集落内の白山神社の裏手から登れそうに見えますが、藪がきつくてとても進めません。)

主郭である山頂にU字に大きな窪みがあります。場所的に炭焼き跡でも無いし、火葬の跡でも無い感じですが意味が分からんです。主郭の南下の尾根に堀切がありそうですが、藪がきつくてとても行けないです。

築城時期は定かではないようですが、冨田左近という豪族の城とされるようです。冨田氏は一向一揆衆であったようです。
山頂主郭
山頂主郭の窪み
城跡遠望
地理院地図より