加賀 岩渕城



ファイルNo3326

岩倉城の縄張りに通じる二重桝形虎口もある

                       主郭と土塁と碑           

@ いわぶちじょう 
  別名 岩淵城 

A住所:小松市岩渕町
B目標地点:
C形式:山城  D比高:90m 
E現況:山林

F遺構等:
G時代/人物:戦国期/一向一揆・織田勢
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2017年09月

  

道案内 ←登り口   ←城跡

北陸高速道小松インタを下り、右折し県道25号線に出て、1.6Km先の城南町西の信号で左折します。県道20号線を進み、さらに京町の信号を直進し県道4号線を進みます。城南町西の信号から2.5Km先の(JR北陸線を越えます。)園町の信号で右折し旧国道8号線に入ります。700m先の沖町の信号で左折し国道360号線に入ります。3Km先で国道8号線バイパスの高架を越え、さらに国道360号線を5Km進み、(県道22号線殿交差点、軽海西の信号から約3.2km先) 原町町内手前で左折し浄化センターの横の細道を県道から山沿いに120mほど進んだ先に登り口があります。(仏御前屋敷跡の手前)

訪城備忘録

登城口から登り始めるとすぐに城跡案内碑がありますが、それ以降主郭の城址碑まで案内標識がないためわからずに登ると山中を彷徨うかもです。(彷徨いました^^;) ひたすら谷筋を登ってください。両サイドの尾根には登らずに。谷筋を登りきると東端の堀(堀切)に至ります。ここには井戸がありますが、妙なところに井戸です。一段上がると主郭の東下郭です。ここの北側主郭下には障子堀のような障壁のある窪地があります。南側に回り込んで主郭に登りますが、ここにも障子の障壁のような痕跡が残ります。主郭は円形で西側の除く三方に土塁が巡ります。西側は斜面になっていて西の郭があり、再び少し登り、ピーク(西端の郭)から左折れ、右折れし虎口土塁を抜けると右折れという二重の枡形になってます。土塁虎口の内側右手にも郭があり、この先にも平虎口があるようです。(ここは見落としました) 虎口土塁の右手外側には竪堀があり、南から虎口に近づけないように処理されてます。虎口を右手に出て再度左手に曲がり降りると土橋があります。土橋の北側堀ははっきりしていますが南側は不明瞭です。土橋を抜けてやや北側に進むと大きな北端の郭があります。巨大で、北側にL字に低い土塁が残りますが、削平は甘い感じで、ただ、郭の東側端にU字の窪地がありますが、なぜなのかよくわかりません。戻って西の郭から南西の郭に行きます。長方形の郭で低い土塁が巡ります。広い郭です。北端の郭と南西の郭は兵站地だったんでしょうね。 以上が城内の様子です。草木は若干多いですが遺構は確認できます。土塁が多用されてますが、低く、岩倉城に比べ類似点もありますが粗悪な作り方です。元々の一向宗の城を臨時で旧改修したのかと思われます。なお、当城跡の下、登城道の谷筋の途中の右手上、比高40mのところに小山城(仏ケ原城)がありますが、位置がはっきりわからず山中をさまよってしまい結局断念してしまいました。この小山城は単郭の広い三角形の城で周囲を土塁が巡り、東側に小さな堀切、北側にスロープの状の虎口があるようで、ここも兵站基地のようです。

主郭の城址碑
歴史

築城時期・築城者は不明です。一向宗勢の徳田志摩守重清の名が城主とされるようです。天正三年(1575年)、岩倉城同様に一向一揆勢が在城したところを織田信長勢に攻撃を受け、落城したと思われ、この後、鳥越城攻撃のための基地として改修された可能性が大です。

主郭東側下郭と主郭切岸             東郭下堀切(堀)
  
東郭下堀切(堀)
井戸
主郭東側下郭と主郭切岸
主郭東下障子堀状堀(写真ではよくわからんです)
主郭土塁
主郭西下郭と尾根側塁線土塁(右端)
再び登った郭からの二重枡形虎口
桝形虎口(西側)
郭の外側切岸       虎口横竪堀
西斜面から主要部を見上げる           西端堀       
西端の堀と土橋
北端郭のU字窪地と土塁
南西郭と土塁
南西郭の土塁
南西郭の主郭下付近
南西郭
南西郭の主郭下虎口風(内部から)
南西郭の主郭下虎口風(外部から)
            鹿の角    まるでティーアップしたゴルフボールのようなキノコ
道案内
登り口からの風景          登り口    
登り口からすぐの城跡標識        登り道の谷筋      

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