加賀 蓮台寺城



ファイルNo3325

城郭未認定ながら、有志の方が自主整備された城跡

                     主郭の盛り上がりに城址碑と説明板

@ れんだいじじょう 
  別名  

A住所:小松市蓮代寺町
B目標地点:道の駅こまつ木場潟
C形式:山城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切?・穴倉・説明板・碑
G時代/人物:戦国期/一向一揆・富樫氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2017年09月

  

道案内 ←登り口   ←城跡

国道8号線(バイパス)連代寺ランプを下りて道の駅「こまつ木場潟」に行きます。徒歩であれば道の駅の向かい側国道高架寄りに案内標識と案内板があります。車の場合は道の駅の向かい側JAの施設の左側に塀沿いに小道がありここを進み、バイパス沿いを左に行き、40m先で右折しバイパスのガードをくぐった先に駐車場があります。
 
訪城備忘録

公式的には認定されていない城跡で、地元のTさん中心に2001年頃から有志が整備されたようです。駐車場から小道を通り城跡へ行くか、主郭下から一気に斜面の遊歩道を登り主郭に登れます。国道8号線(バイパス)の本当に横です。手作りの標識がなんともいいです。主郭には直径10mほどの大穴があります。大正時代は氷室として利用されたようです。手作り説明板には城郭当時は武器や食料の貯蔵庫として利用された穴倉を大正時代に掘り起こして氷室にしたと書いてありました。主郭には土塁の高まりがあり櫓台かもしれません。主郭からの尾根には見ようによっては堀切の痕跡のような窪みもあり、尾根東端には平坦地もあり、城郭っぽい感じはします。

案内板と城跡遠望
歴史

蓮台寺城は史料としては存在するようです。文明三年(1471年)<文明六年(1474年)、文明七年(1475年)にも戦いがあり落城はいつかは?)、真宗高田派は応仁の乱西軍についた富樫幸千代を支援、それに対して真宗本願寺派は富樫政親(正親)と結び戦いが始まり、幸千代の拠点であった蓮台寺城を攻め、これを落城させたとされます。これは加賀における最初の一向一揆とされ、文明の一揆と呼ぶそうです。城域では遺物等がでないため、公式的には城跡とは認定されていないとの事です。

切通り(往時は堀切?)       主郭      
現地案内より
  
城跡より小松市内遠望
切岸風      登城道    沢だろうけど
切通?(往時は堀切?)=穴ぐりと呼ばれる隧道らしい
尾根道(堀切痕跡のようにアップダウンしてる)
穴倉(大正時代の氷室)
穴倉(大正時代の氷室)
主郭東側(見ようによっては堀切土橋)
東の郭         主郭北側下
城跡遠望        手作り旗

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