道案内 |
北陸高速自動車道金沢西・金沢東・金沢森本インタのいずれかで下り、「のと里山海道」を目指します。内灘町の「のと里山海道」起点とし、徳田大津ジャンクションで能越自動車道と合流、輪島市三井町の能登空港インタの信号で右折し県道303号線に入ります。ここまで起点から1時間半ほどです。県道303号線から県道26号線に入りさらに県道57号線を進みます。松波西の信号で左折し国道249号線に入ります。約9km先、金峰寺の信号で国道249号線は右折です。約900m先の鵜飼の信号で国道は左折です。約5.5km先のすずなり西口の信号で国道は左折ですが直進します。約3.6km先の正院小学校前の信号で直進し県道12号線に合流します。約600m先で斜め右に入ります。海岸線を200m先左手の公園駐車場で車を停めます。この公園に説明板があります。城跡には公園からまっすぐ山に向かうか、県道から右折したところから少し戻ったところから山に向かうと稲荷神社ですので、この背後から登ります。
|
訪城備忘録 |
当日は公園駐車場から小道を通り県道を横切って長覚寺の横から山側に入りました。 小道が続いていて空堀のような窪みが続いていたり、郭跡の思わせる平坦地があったりしたところを通り、4郭の標識の所に出ました。稲荷神社側からくると虎口・空堀という標識を越えてくると4郭の標識のところに至ります。そのまま左手に進むと3郭の標識、その先が主郭です。4郭は畑跡のようで雑草地になっていて、3郭は高い藪状態でした。主郭は広い平坦地で奥に城址碑が立ってます。ここまでの空堀は幅のある空堀は畑に、そうでない空堀は道になっている感じです。近くの飯田城、萩城とはまったく縄張りが違います。もちろん城地が広い台地にあるということもありますが、周囲を空堀が巡る大きな郭が独立性を持ちながら配置されているという感じで屋敷地の集合のように見えます。近くの飯田城、萩城とはまったく様相が違います。城域の多くが畑地・林になってますが、休耕地は草むらになっていて見学しにくいですが城の形は残っているという感じです。
|
公園の説明板
|
|
鎌倉期に地頭として入った長谷部信連の子孫が長氏を名乗り能登各地に拠ったようです。その中で城郭が構築されたようですが、詳細は分からないようです。天正四年(1576年)から上杉謙信の能登侵攻が始まり、上杉氏家臣の長景連が川尻城を落として居城としたようです。景連は信連の傍流とされるようで、越後の黒滝に居住していたようで、黒滝長氏とも言われるようです。天正六年に謙信が死去し、天正七年に温井景隆らに攻められ景連は越後に逃れましたが、天正十年(1582年)に再び奥能登に攻め込みましたが、前田利家の与力となっていた信連の嫡流の長連龍に敗れ川尻城で敗死、この時に城は廃城になったようです。
|