加賀/ 黒谷城



ファイルNo1899


                             主要部手前の堀切  

@ くろたにじょう 
  別名 

A住所:加賀市山中温泉東町1丁目
    旧:江沼郡山中町東山1丁目

B目標地点:四十九院隧道
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁
G時代/人物:戦国期/一向一揆
H満足度: 凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  隧道そばから15分

J撮影・訪問時期:2008年06月

  

道案内 

北陸高速道加賀インタを下り、熊坂の信号で左折し国道8号線に入ります、4.5Km先の黒瀬の信号を右折し国道364号線に入ります。8km先の塚谷西の信号で直進し、山中温泉郷に入ります。1.3km先の山中図書館、バスターミナル付近で左折し、県道39号線に入ります。すぐに白鷺大橋で大聖寺川を渡り、渡るとすぐが四十九院トンネルですが、トンネルの手前に斜め右に登る道があります。県道39号線の旧道です。この旧道に入り、800m先が四十九院隧道です。この隧道手前右手の斜面に木の階段が付いていてここを登ります。
 
訪城コメント

隧道手前の木の簡易階段を登るます。比高で50mほどで尾根に到達します。ここに堀切が1条認められます。この堀切を越えて右手に進むと山中城に至ります。黒谷城は左手尾根を進みます。すぐに鉄塔を越え、鉄塔の先がまた登りでピークに達します。このピークから尾根を進むと下りとなり、小さな堀切が2条ほどあります。黒谷城の主要部はピークから西に伸びた尾根に入ります。道は無く、草木を掻き分けて進みます。5分もしないところに明瞭な堀切が1条あります。結果として、この堀切がこの城では一番明瞭でした。さらに進むと、主郭真下に土橋状の箇所を越え、斜面を登ると主郭です。主郭は藪状態で見通せません。主郭南下にくの字の郭がありましたが、ここは草木が少なくまだ郭が確認できました。主郭西側にも段郭がありますが藪状態です。主郭北側下には資料では土塁を伴う井戸跡が残るとありましたが、草木が多くてよくわかりませんでした。帰りは再び尾根を戻り山中城に行くつもりでしたが、進む場所を間違え隧道そばに下りてきてしまいました。ここも熊出没の看板がいたるところにあります。もう一度尾根まで登る元気が無くなり、山中城はパスしました。山中城側の東山神社には黒谷城の碑があるようで、この神社背後から山中城に至ることもでき、下から口之城、中之城、奥之城というようです。

主郭南下のくの字の郭
歴史

元の黒谷城は山中城を言うようです。山中城は南北朝期に築城されたとされます。建武二年(1335年)長九朗左衛門盛連が在城したとされます。弘治元年(1555年)に朝倉宗滴が加賀侵攻後、永禄十年(1567年)には朝倉義景と一向一揆とも和議で一向衆は松山城を廃し、朝倉方は大聖寺城・黒谷城・日谷城を放棄し焼き払ったとされ、この時の黒谷城は山中城をさすようです。現在の黒谷城は天正年間(1573年〜)に一向一揆が築城したものと考えられます。天正八年(1580年)に柴田勝家に攻められ、落城したとされます。


   主尾根の堀切                主要部手前の堀切(横から)


  

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