加賀/ 鷹巣城



ファイルNo1178


                        西側の土塁

@ たかのすじょう 
  別名 

A住所:金沢市西市瀬町ー瀬領町 
B目標地点:瀬領バス停 
C形式:山城  D比高:50m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・土塁・空堀・堀切 
G時代/人物:天正期/平野氏?
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  集落より林道を10分

J撮影・訪問時期:2004年09月

  
郭と土塁

【道案内】 

金沢市内中心部の兼六園から南東側の県道10号線を進みます。石引の信号を越え2Km先(錦町の信号から800m先)の信号で斜め右へ県道114号線に入ります。さらに2Km先で斜め左に入り県道207号線に入ります。左手に金沢学院大学・金沢東高校のそばを過ぎ3.2Km先でトンネルを越え、850m先の瀬領町のバス停付近で左手に登る道がありますのでここに左折します。(瀬領町の日吉神社の手前です。) 坂道を登り200mほど進むと管池町の集落ですが、その一番手前側の左手に林道が北に伸びています。ここを10分ほど歩いて行くと右手に城址があります。唯一「石川県教育委員会の史蹟」標柱があるだけで城址碑や説明板はありません。



【現況・訪城記録】

林道沿い進みますと左手は崖、右手に一列に20m四方程度の郭が三つほど連なるところに至ります。各郭は土塁が巡り、郭間には堀が巡っています。この三つの郭の北側にも同規模の郭が二つほど確認できます。これら郭群は訪城時期もあったんでしょうが、草木に埋もれていて、堀は明瞭な感じではなかったです。これらの郭の北側から東側、さらに、林道沿いの南東側にかけて三日月状の大きな郭が他の郭群を包むように存在します。外側には土塁が巡り明瞭です。その外側にも広い平坦地が広がっていました。この辺はどこまでが遺構でどこまでが後世の畑地等なのか判断はできませんでした。いずれにしても五つほど固まっている郭は防御的な縄張りがされているというより整然と屋敷地が並んでいるという感じで、どれが主郭なのか判断ができません。城は南東側を大手としている感じで尾山城(金沢城)を守る支城という感じがします。


【歴史】

築城時期や築城者は不明のようです。史料には平野神右衛門が在城し上杉謙信に属したとあるようです、天正八年(1580年)に佐久間盛政が尾山城(金沢城)の支城として改修、天正十三年(1585年)には佐々成政がこの城を攻め、前田利家が撃退したとされるようです。これらは定かなことではなく、なぞの多い城のようです。

  
  
     
  

近くの城・関連の城:金沢城

            

東の郭
東の郭と土塁