能登 / 末森城



ファイルNo1173

佐々成政と前田利家の戦いで有名な城

                            二の郭から主郭を見る

@ すえもりじょう 
  別名 

A住所:羽咋郡宝達志水町南吉田〜竹生野 
    旧:羽咋郡押水町
B目標地点: 

C形式:山城  D比高:120m 
E現況: 山林

F遺構等:郭・土塁・堀・碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/土肥氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場から25分

J撮影・訪問時期:2002年09月

  
主郭

【道案内】  ←駐車場の位置

金沢市内より「のと里山海道」(旧:能登海浜道路)入り口より30Km先、今浜インタを下り、1.5Km先の宿東の信号で右折し国道159号線バイパスに入ります。1.2Km先の国道471号線との交差高架の手前で右折し200mほど行くと右手に末森城の駐車場です。ここより国道159号線に架かる歩道橋を渡り城址に向かいます。(あるいは、今浜インタを下り県道229号線に入ります。1.5Km先の今浜の信号で国道249号線を越え、さらに1.2Km先の国道川原で左折し国道159号線バイパスに入ります。1.2Km先の国道471号線との交差高架を越えてすぐ左折します。)


【現況・訪城記録】

末森の戦いの時に大軍に包囲されて主郭のみとなっても持ちこたえた城で、その時の守備兵は500程度だったと記憶しています。ですから、三河の長篠城のように背後の川(末森城の場合は急峻な山肌かな)みたいな天然の要害で砦を想像していたのですが、現在残っている城跡は思った以上に城域が広く、それほど急な山ではありませんでした。包囲されて数日で主郭のみになったんだから長篠城と比べたらいかんのか・・・。 歩道橋を渡ると左に真新しい碑が建っています。これも2002年の大河ドラマのおかげのようです。山道に入り左手に屋敷呼ばれる区域、四つ立ちを越え、大手門、右手に若宮丸へと進みます。思ったより距離がありました。ここからやや道が急になり、櫓台、二の郭、主郭に至ります。夏場ということもあったですが、草木が伸びた単純な郭のように感じました。ただ、主郭背後(北側)の郭からみると切岸は5mほどあるでしょうか。さらに、搦め手大門まで行ってみましたが、藪状態で写真には撮れませんでした。城道はなんとなくわかります。 主郭下東側の馬掛場は相当な広さをもっており、土塁も一部確認できます。 若宮丸の先に降りて行くと、ここには、どういう配置になっているのかわかりにくいですが、複数の郭が残っていて、けっこう広い領域です。また、ここより若宮丸の裏側を通って大手道側に戻るまでにも郭とわりと明瞭な竪堀が認められます。

【歴史】

天文十九年(1550年)、畠山義統の家臣の土肥但馬守親真の居城とされます。天正十一年(1583年)以降、この城は前田利家の家臣奥村永福が守将として入りました。 天正十二年に佐々成政が末森城を攻撃するも前田利家が救援し成政は撤退しました。
  
櫓台
  
主郭背後の郭
  
  

近くの城・関連の城:津幡城  金沢城  御館館

            

現地案内板より
 馬掛場                若宮丸下の郭
四つ立ち                   小丸大手門
城跡入口の碑                主郭からの眺望