加賀/ 虚空蔵山城



ファイルNo1168


                主郭と土塁・櫓台  

@ こくぞうやまじょう 
  別名 和気城・館城・白木城  

A住所:能美市和気町 
     旧:能美郡辰口町和気
B目標地点:和気小学校の裏山 

C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林 

F遺構等: 堀切・土塁
G時代/人物:戦国期/金剛寺氏
H満足度: 凸凸

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  和気小学校から20分


J撮影・訪問時期:2001年10月・2008年9月

  

道案内 

北陸自動車道小松インタを下り、料金所から左折し県道25号線に入ります。900m先の長崎中の信号で右折し県道54号線に入ります。3.2Km先の長田南の信号で国道305号線(旧国道8号線)を横切ります。600m先が国道8号線バイパスで、このガードをくぐります。ここから5km先、上八里町の信号で県道22号を横切ります。2.5km先、左手の和気小学校の裏手に登城口があります。
 
訪城備忘録

和気小学校の体育館脇に説明板と城址碑があります。体育館の裏手より登ります。いくつかのルートで遊歩道が整備されています。大手門跡を経由する道を進みます。石段になってましたが、これは遺構??。道の片側は土塁が続いていて、これは遺構のようです。大手門跡の郭下斜面には石垣があり、眺望もいい箇所です。さらに登ると二の丸に至ります。虎口は平虎口で明瞭で、郭は楕円形で周囲を土塁が巡り、外側を空堀が巡ります。主郭も平虎口で同様に楕円形で、虎口そばの土塁は分厚く櫓台でなかったと思います。主郭西側下の尾根にも郭が続きますが、藪状態で不明瞭でした。

説明板と城址碑
歴史

詳細は不明な城ですが、天文年間(1532〜55年)に金剛寺幸松(=富樫政親の弟の富樫幸千代)によって築かれたとの事です。その後、一向衆の城になっていたようで荒川三郎右衛門(市松)などが在城しています。天正五年(1577年)の上杉と織田の手取川の戦いでも役割があったと推測されます。天正八年(1580年)に織田信長方の佐久間盛政に攻められ落城したと考えられます。

大手門石垣        二の丸を虎口から
主郭を虎口から      主郭南下堀切
  
現地説明板より      城跡遠望 
登城道沿いの土塁       大手門からの眺望

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