加賀/ 舟岡城



ファイルNo1163

土の城から石垣の城へ移行の姿の城の遺構

                            石塁

@ ふなおかじょう 
  別名 舟岡山城・船岡城・八幡城・剣城・白山城

A住所:白山市八幡町 
     旧:石川郡鶴来町八幡

B目標地点:白山比盗_社・白山青年の家 
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・土塁・堀・石垣・説明板 
G時代/人物:戦国期/坪坂氏?・若林氏?
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2001年06月・2016年04月

  
本丸と二の丸の間の堀@

【道案内】  

国道8号線白山市乾東の信号で国道157号線に入ります。12Km先(10Km先で手取川沿いを走ります。)で国道は山上郷大橋でいったん川を渡り、500m先で一ノ宮大橋で再度川を渡ります。橋から800m先の白山町西の信号で左折し県道103号線に入ります。白山町の信号を越えて戻る感じで県道を進みます。1.2Km先が三ノ宮の信号でそこから500m先の左手の山が城跡です。加賀一宮駅の真ん前の山(舟岡山)の山頂に城跡ということになりますが、ここから登るところは無いようです。駅前の県道179号線からすぐに左折し坂を登ると最初の信号で県道103号線に出ることもできます。登り口は白山比盗_社側からの登り口がわかりがいいと思います。車が停めやすいのは白山青年の家側ですが、主要部からは反対側になります。



【現況・訪城記録】

山頂には本丸から東西の二の丸、大型の馬出門くらいまでは石垣も多く残り、空堀が複雑に入り組んでいます。本丸(主郭)の手取川側斜面には大きな石で積まれた石垣が大規模に残っています。また、馬出門正面に見える本丸の切岸などに天面に近いところだけ石垣が残っているような箇所が何箇所かありますが、これはその下は崩落したのか、元々、鉢巻石垣であったんでしょうか? 石の崩落量を見てると元々鉢巻石垣だった感じがします。反面、三の丸、四の丸と呼ばれる地域は広大な平坦地で、未完成なのか、家臣軍団の屋敷地なのか? 城は一向一揆衆の拠点となっていたものですが、城の遺構は前田家重臣管理時代のもののようです。それでも、東二の丸の端のは堀切、主郭の前後の竪堀は一向衆時代の名残でしょうか? 縄張りは土塁で作られた近世城郭で、石垣が多用されているという感じの城跡です。


2016年夕方久しぶりに城仲間と訪城しました。 草木が多いのは以前と変わりませんが、本丸の手取川側の斜面石垣を見てなかったので、今回見学させていただくと、他の箇所の石垣より石が大きく、斜面全面に石垣がなされ、まさに見せる石垣という事が実感できます。夕日に照らされていっそう綺麗な石垣でした。


【歴史】

城の創建は明確ではありません。かつでは白山比盗_社が鎮座した場所とされ、源平の頃から城が存在したともされますが確かではありません。戦国期に入り、一向一揆勢の城として築かれ、守将として坪坂平九郎・若林長門守が在城したとされます。天正八年(1580年)の織田信長侵攻で落城しました。舟岡城には丹羽長秀の家臣、早谷五左衛門が在城、天正十三年(1585年)よりは前田利家の家臣、高畠定吉が居城とし、慶長五年(1600年)には廃城になったと考えられます。

  
本丸と二の丸の間の堀A
  
馬出し門付近土塁と堀
  
  
本丸(主郭)平虎口と土橋                    本丸周囲の堀
現地案内板より

近くの城・関連の城:

            

   
馬出し門を外より                    馬出し門周囲堀
馬出し門内部
馬出し門を囲む堀
馬出し門L部
馬出し門L部
馬出し門の堀を中から
本丸切岸と鉢巻石垣                  西二の丸の切岸と石垣 
東二の丸と本丸の間の堀
本丸虎口                      本丸虎口南側竪堀
本丸虎口
東二の丸土塁外側に残る石垣                 東ニの丸斜面の堀切
本丸竪堀から本丸石垣
本丸南斜面(手取川側)石垣
西二の丸への土橋                   西二の丸側竪堀
西二の丸と残存石垣