能登 / 七尾城



ファイルNo01162

戦国五大山城 能登畠山氏本城 広大な城域に広がる郭群と壮大な石垣群が見所

                        本丸(主郭)下石垣

@ ななおじょう 
  別名 松尾城

A住所:七尾市古城町 
B目標地点:七尾城史資料館 
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・土塁・堀・石垣・石碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/畠山氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  山腹駐車場より10分
  麓の七尾城史資料館より50分


J撮影・訪問時期:2001年04月・2014年06月
            2018年06月

  
調度丸より

【道案内】 ← 山上駐車場

金沢市内より「のと里山道」(旧:能登海浜道路)で七尾の徳田大津ジャンクションまで行き、能登自動車道(田鶴浜道路)に入ります。高田インタから七尾田鶴浜バイパスになります。小丸山南の信号で右折し県道2号線を進みます。1.4Km先の国分の信号で左折します。1.3km先の藤野町北の信号を直進し、県道177号線に入ります。1.5km先信号を右折すると七尾城史資料館があり、徒歩でここから登れますが、そのまま直進し林道(県道177号線)に入ります。2.5Kmほど山道を登りますと七尾城址駐車場です。(あるいは、富山県氷見市側から国道160号線を経由し国道249号線で来るのもありですね。)



【訪城備忘録】

七尾城史資料館そばから林道で登っていくと本丸下の駐車場まで車で行けます。七尾城を味わうには麓より登るほうがいいのかもしれませんね。本丸の石垣は雄大で、北陸の戦国期の城としてはもっとも壮大であるのは間違いありません。本丸からは日本海も見え、大変気持ちのいいお城です。本丸〜二の丸〜三の丸が尾根上に連なり、その下には調度丸・屋敷群あるいは大手道沿いの郭と石垣が点在します。本丸から三の丸の尾根の西側の尾根に往時は迎賓館であった建物があったとされる郭などがありますが、九尺石付近の豪雨による遊歩道・斜面崩壊などあり、行けそうにありません。本丸背後の独立丘のようにある長屋敷の南北には大堀切になってますが、藪藪で見学は難しいです同様に長屋敷も(行ってませんが)藪藪とのことです。山上駐車場からさらに登っていくと城山展望台があります。百阡n場と言われているようです。ここから本丸が遠望できます。なかなか壮観です。

【歴史】

能登畠山氏は応永十五年(1408年)に畠山満慶(畠山基国の次男)が能登守護に任じられたのが初代でその後、義忠、義統と続きますが、義統までは京にいて能登には在国していなかったと考えられます。しかしながら、義統の時代に応仁の乱(1467年〜)があり、この頃に七尾城が築城されたと考えられます。七代義総の時代に大拡張されたと壮大な七尾城になってとされます。八代義統の時代には畠山氏は衰退を始め、九代義綱の時期には家臣団の温井氏・遊佐氏・長氏などが家中で勢力を争うようになっていました。その中で永禄九年(1566年)には八代目・九代目が城を追われ十代目として義隆が守護職に就くという事件も起こりました。さらに天正二年(1574年)には義隆が暗殺され幼主義春となりましたが、天正五年(1577年)に上杉謙信が七尾城を攻め、遊佐統光の裏切りもあり七尾城は落城し畠山氏は滅亡し城は上杉方のものとなりました。その後、織田信長方が北陸に攻め込み、天正九年(1581年)に能登は前田利家が領有し、利家は居城を小丸山城としたため七尾城は廃城となりました。


  
温井屋敷より二の丸(郭)を見る
  
九尺岩
    
調度丸からの石垣
石垣を横から
主郭(本丸)石垣
主郭(本丸)
二之丸石垣
  
展望台から主郭(本丸)遠望
展望台から主郭(本丸)遠望(拡大)
眺望

近くの城・関連の城: 小丸山城

          

2014年訪城
調度丸から桜馬場下石垣
本丸(主郭)への石段
本丸(主郭)下石垣
本丸(主郭)下石段・石垣
本丸(主郭)櫓台
本丸(主郭)土塁
本丸(主郭)土塁外側石垣
九尺岩
温井屋敷から二の丸(二の郭)下石垣
二の丸(二の郭)
二の丸(郭)と三の丸(郭)の間の石垣
三の丸(三の郭)
安寧寺跡
眺望
大手道から