加賀の城002     

                                                                               

富樫館 (野々市城)  1814 
城址碑と説明板
A石川郡野々市町本町2丁目
B野々市工大前駅
北陸自動車道金沢西インタを下り、国道8号線を福井方面に戻ります。4.7km先の三日市の陸橋で側道から三日市の信号で左折し国道157号線に入り、金沢中心地方面に向かいます。2.2km先の横宮の信号で右折します。750m先の本町2丁目の信号で左折し県道193号線に入ります。200m先の北陸鉄道石川線の手前で左折し、100mほど先が野々市工大前駅です。駅舎の横の踏切の脇に碑と説明板が建っています。
C平城
F遺構等:碑・説明板
G平安期〜/富樫氏 
H満足度:凸
藤原利仁の末裔が富樫郷に入り、富樫氏を名乗ったとされます。康平六年(1063年)に七代の富樫家国がこの館を築いたとされます。富樫氏は足利氏に従い、富樫高家は建武二年(1335年)に加賀守護に任じられ以後、富樫氏は代々、加賀守護でありました。長享二年(1488年)に二十四代の富樫政親が高尾城で一向一揆に破れて自害して実質的にはここで富樫氏は滅亡しました。この後も名目の守護として富樫泰高が守護であったようですが、その後には享禄四年(1531年)に富樫氏は名目的地位も失ったようです。

J訪城:2007/12
安吉城   1900
城址碑
A白山市安吉町
 旧:松任市
B山島公民館
北陸自動車道金沢西インタを下り、国道8号線を福井方面に戻ります。9km先の倉光の信号で左折し県道174号線に入ります。1.4km先のY字を右手方向へ、さらに、2.8km先が安吉の信号で左折し、80m先(左角に交番)を右折し80m先右手の公民館前に城址碑があります。

C平城
F遺構等:碑 
G戦国期〜/大窪氏(安吉氏) 
H満足度:凸
応仁の乱以後の文明年間(1469〜87年)に大窪源左衛門家長が築いたとされ、安吉氏を名乗ったとされます。天文十九年(1550年)に安吉城を窪田大炊允経忠に譲り、経忠は一向衆に加担しました。天正八年(1580年)に柴田勝家に攻められ、落城し、経忠も討死したとされます。

J訪城:2008/06
A
B
C城
F遺構等:
G期〜/氏 
H満足度:
J訪城:200*/0*