美濃 樫原城



ファイルNo3670


               主郭南側堀切               

@ かしばらじょう 
  別名 樫原山城 

A住所:大垣市上石津町宮
    旧:養老郡上石津町宮 
B目標地点:津島神社・樫原公民館

C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・堀・説明板・標識
G時代/人物:室町期/進士氏?
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公民館から5分

J撮影・訪問時期:2020年08月

  

道案内 

名神高速道関ヶ原インタを下り、国道365号を上石津方面に進みます。2.4Km先の牧野上野の信号で国道は右折となります。国道を道なりに進むと信号より4Km先で上石津のトンネルを3つ越えます。トンネルを出てすぐの信号が下多良の信号で、(ここより約1.4Km先の上原の信号です。) 信号から約600m先で斜め右に入り、約1.1km先の十字路を右折、約200m先の左手が多良小です。小学校より約300m先を右折します、(標識があります。) 道なりに約800m進むと右手に手前に公民館、奥の高台に津島神社があります。津島神社本殿右端より細い道があり、そこを進むとすぐに城跡です。
 
訪城備忘録

近年、上石津町は城跡の発見が盛んです。これは、この地にあった多羅城(場所不明)が明智光秀の生誕地の史料があるためです。丘城で城ケ平、城屋敷、樫原城、山城でも2ケ所あるようです。その中で、城ケ平と樫原城は整備されました。城ケ平は城だと思うけど、寺とか昔の耕作地跡かとも感じるところはありますが、樫原城は城ケ平より規模的には小さいですが明らかに城だと感じます。 神社から入るとすぐに堀切が横たわってます。また、きれいな堀切です。そのすぐ上が主郭です。堀切に沿って南側に高い土塁があり、その土塁は西側の半分ほどまで回り込んでいます。主郭西側端中央がやや凹んでますがここが虎口のようです。主郭の北側下には斜面に沿って空堀があります。麓に向かって下っているので竪堀風ですが、中間に折れまである堀です。なかなかコンパクトですがわかりやすい館城らしいいい感じの城跡でした。

道路にある標識
歴史

天正年間に関一政が多羅城を築城し、この地を領したとされてましたが、それ以前に進士氏がこの地を領し、多羅城を築城したとされます。多羅城の場所は不明で、また、明智光秀は進士(山岸)信周の子とされ、この地に生まれ、後に明智光綱の養子になり明智家を継いだとされる説があり(大垣市上石津郷土資料館パンプレット参考)、樫原城もひとつの候補です。そのほかの候補として近くに城ケ平や城屋敷と言う字を持つ場所もあります。

主郭土塁    主郭北側の空堀
主郭と南側から東側の土塁
現地案内板より
  
南側堀切
南側堀切
主郭虎口?     土塁の上から
主郭南側の高い土塁
主郭内     主郭西側の急斜面
北側空堀
北側空堀(右手上は主郭)
北側空堀(左手上は主郭)

近くの城・関連の城:城ケ平 西高木陣屋 城屋敷