美濃 / 毛利秀元陣所
南宮山



ファイルNo1772


                     山頂背後の堀切の土橋  

@ もうりひでもとじんしょ 
  別名 

A住所:不破郡垂井町宮代〜大垣市上石津町牧田
B目標地点:南宮山山頂
C形式:山城  D比高:360m 
E現況:山林

F遺構等:堀切・土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/毛利氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  南宮大社駐車場から70分

J撮影・訪問時期:2007年09月

  

道案内  

大垣方面から国道21号線で来ると、宮代の信号から1.2Km先(朝倉口の信号から800m手前)の御所野の信号に大きな「南宮大社入口」の看板がありますので、ここを左折します。大きな鳥居を越えて750m先の南宮大社の駐車場です。駐車場に車を止めて「南宮山ハイキング道」の案内に従い、安国寺恵瓊陣所の説明板のところまで行きます。この左手が東蛇溜池です。右手が西蛇溜池です。登山道は左手を登ります。説明板には帰りは山中で合流している西側の登山道(西蛇溜池の反対側に出られる)を下りてきてもいいと書いてありますが、荒れていましたのでお勧めはできません。登り道は20分ほどで休憩椅子のある地点に至ります。ここから大垣方面が木々の間から望めます。さらに10分ほどで西の登山道との合流点です、ここを左手に登ります。すぐに右手に大きな削平地と石積みが認められます。削平地は広く、瓦の破片、石が散乱しています。寺か神社跡のようです。さらに登ると「一の松の旧跡」を越え、高山神社と子安神社のふたつの小さな社殿に至ります。この上にも神社跡のような削平地があります。ここからは尾根をあと10分ほどで山頂です。

訪城備忘録

東蛇溜池から山頂まで比高360mで小1時間の山道です。登って見て実感しますが、まさに高みの見物の位置で、関が原の戦いに本気で参戦する位置ではないですな。山頂の前後には堀切が設けてあり、土橋がありました。山頂背後には副郭にあたる平坦地もあり、低い土塁もありました。しかし、この周囲に毛利軍15000がいたんかな?

歴史

慶長五年(1600年)の関が原の戦いの際の毛利秀元の陣所です。秀元は当主輝元の養子になっていますが、元就の子の元清の子であり、輝元とは従兄弟です。この戦いで東軍に内応し毛利家を関が原の戦いに参戦させなかった吉川広家も元就の子の(吉川)元春の子です。三人とも従兄弟同士ちゅうわけでんな。吉川広家に関が原の戦いに参戦する事を阻まれ状態で、石田三成からの再三の援来を催促された秀元は「今は兵に飯を食わせている」と苦しい弁解をし、これが「宰相殿の空弁当」と伝わっています。秀元は関が原の戦い後に大坂城に戻り篭城しての徹底抗戦を唱えたようですが、時すでに体制は決してしまった事で聞き入れられませんでした。関が原の戦い後、毛利家は7カ国の太守から防長二国に大減封され、秀元も20万石から長府6万石の初代藩主となりました。

山頂手前の堀切           手前の堀切の土橋

山頂背後の削平地と土塁?                 背後の堀切  
  
説明板より                    南宮山遠望

近くの城・関連の城:安国寺恵瓊陣所  吉川広家陣所