美濃 / 明知陣屋



ファイルNo1277

                            陣屋全景

@ あけちじんや 
  別名 

A住所:恵那市明智町古町 (旧恵那郡明智町)
B目標地点:大正村役場→大正浪漫館 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:畑・宅地 

F遺構等:郭・石垣・堀・池・説明板 
G時代/人物:江戸期/遠山氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  大正村役場より8分

J撮影・訪問時期:2006年02月

  
大手堀跡

【道案内】

中央高速道恵那インタを下り、県道68号線を進みます。国道19号線をガードで越え、5Km先道の駅そばの郷の佐々良木の信号で左折し国道418号線に入ります。7Km先で右折し国道363号線に入り、600m先で信号で左手方向の国道を進みます。(右方向は県道33号線に入ります。)6Km先の明智町中心部で明智駅前の信号で左折し県道33号線に入ります。120m先で宮前橋を渡ると八王子神社前で県道は左折です。ここを右折して150m先で左折し大正村役場前を越え、絵本館前で右折し道なりに行くと右手に大正ロマン館で左手の陣屋大手跡、その奥が明知陣屋です。陣屋の後から山を正面にして左手一段上がったところにある稲荷神社の左側より明知城跡に登れます。



【訪城備忘録】

陣屋跡は畑地と宅地になっていますが、陣屋の縄張りは残っていると言えます。大手門両サイドの堀、大きく上下2段になっている陣屋敷地及び御殿池が残り、僅かですが、基壇の石垣が残っています。


【歴史】

遠山景行の子の利景は天正十一年(1583年)に森氏に攻められ明知城を明け渡し徳川家康に仕えました。慶長五年(1600年)に岩村城主田丸氏の支城であった明知城を利景が攻略しました。これにより利景は慶長八年(1603年)に6531石を与えられました。明知城西麓に陣屋を設け、明知城は廃城とされました。遠山氏二代の方景は元和元年(1615年)より交代寄合衆で参勤交代を行いましたが、延宝六年(1678年)から遠山氏は江戸定府となり、陣屋は代官村上氏が管理して明治まで続きました。



現地案内板より
 
  
御殿池(向こう側の池)
  
左手の稲荷神社側
  
  

近くの城・関連の城:明知城

          

   龍護寺山門      明智光秀供養塔
  旧明智村役場(日本大正村役場)  大正浪漫館