美濃 / | 山口城 山口城居館 |
ファイルNo1244 |
古田織部の誕生の城
@ やまぐちじょう |
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【道案内】 国道21号線で岐阜市方面から来ると、長良川を瑞穂大橋で渡り、900m先の朝日大学口の信号で右折し県道23号線に入ります。5Km先の信号で直進し国道157号線には入ります。900m先で国道303号線左折の分岐交差点がありますが直進し、国道157号線をそのまま進みます。4.5Km先で県道78号線と交差します。その先1.5Kmに道の駅織部の里があります。この手前100mほどに文殊の森の案内板があり、これに従い右折します。各所の案内板に従い道なり900mほど進むと文殊の森駐車場に至ります。ここより左手に進み、森の案内板に従い城跡に向かいます。四季の展望台から中の城経由で山口城主郭に至ります。 山口城居館は織部駅の西側線路沿いです。国道157号線の道の駅の手前の信号を左折し、踏み切りを渡って、50m先を右折した先の竹薮が居館跡です。線路沿いに主殿の碑、左手に進むと屋敷跡の碑があります。 【訪城備忘録】 文殊の森の駐車場から左手方向に案内板に従い登ります。途中まで一般車立入禁止のアスファルト道を進み、途中から遊歩道を登ります。整備されていますが、けっこう急です。結局のところ駐車場からでも比高は200mほどあった感じで、けっこう息が切れました。城跡は中の城と呼ばれる南の郭(ここは削平のみの感じで、この辺は古墳群でありここも古墳跡のようです。)を越え、いったん下り尾根の鞍部を越えて北側ピークにある主郭に分かれます。主郭は周囲を帯郭が巡り、東の帯郭には段差が何ヶ所があり区画されてくるようです。主郭南西斜面の方に降りていくと水の手、井戸も残るようですが、残雪のため断念しました。古田織部の城という事で、もう少し技巧的な城なんかと想像もしてましたが、土豪の詰城という感じです。山口城から尾根伝いに歩いていくと法林寺城です。途中、眺望もいいです。 山口城居館は国道157号線の道の駅及び織部駅の西側にあります。大きな竹薮になっておりとても中に入れる状態ではありません。東側、線路沿いに土塁が南北に残っています。 【歴史】 天文十三年(1544年)に山口城主古田重定の子である織部(重然)は生まれました。永禄十年(1567年)織田信長が岐阜城に入城後に、織部は信長に仕えました。その後、秀吉に仕え、天正十二年(1584年)に山口城主となり、翌年には、山城西ケ岡三万五千石の大名になりました。関が原の戦いでは家康に付き、二代将軍秀忠の茶道指南役でもありましたが、元和元年(1615年)に謀反の嫌疑をかけられ長男重広とともに自害しました。<現地案内板参考> |
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山口城居館 |
眺望 |