道案内 |
高山市内JR高山駅近く国道41号線と国道158号線との交差点(上岡本町)の信号で国道158号線に入り道なりに高山市内から東方向に進みます。(あるいは国道158号線は高山中心部を通りますから、国道41号線の下岡本町南の信号から県道488号線へ東に入り、700m先で宮川を渡り、300m先で大八重川を渡ります。すぐ三福寺町の交差点ですから右折し道なりにすすみ東山中学付近松之木町西の信号で国道158号線に合流します。) 松之木町西の信号から750mで国道361号線との分岐の松之木町東の信号に至ります。ここより国道158号線を3Kmほど進んだ右手の丘が城跡です。御崎神社・丹生川中学の背後になります。公園へは東側から車道があるようです。
(車では、町方の信号を右折し、400m先を右折、100m先のT字を左折し、600m先(丹生川神社手前)を右折、道なり900m先です)
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訪城備忘録 |
丘の西側を捜したけど尾崎城公園の登り口がわからず、地元の人に聞いてもしらないとそっけなしで、周囲には徒歩で行く道の案内はありますが、車で登れる箇所が見つかりませんでした。しょうがなく神社から中学校の裏手を通り、雨の中、徒歩で登りました。城内はきれいな公園・・・というよりも遺構を壊して整備されすぎた公園になってました。おまけにりっぱな駐車場まであった・・・。公園への車道は東側の麓からあるようです。 公園の淵を巡る土塁は遺構のようです。また、主郭と二の郭を繋ぐところに二重の堀と土塁があり、これは遺構とわかりますが、なんで、こんな形の小さな二重堀切なのか意図がわからないです^^; 二つの郭の周囲斜面には空堀が巡っています。また、二の郭の北西側は横堀に加え畝状竪堀もあるようですが明瞭には確認できませんでした。
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主郭北側の堀
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築城年代は定かではないようですが、戦国期塩屋筑前守秋貞が城主とされます。 塩屋氏は上杉氏に従っていたようで、越中(富山県)にも勢力があったようです。永禄十二年(1569年)頃、秋貞は上杉謙信より三木氏との仲立ちを要請されたりして上杉方の目代の役目をしたようですが、謙信亡き後は織田氏方に付いたようで、天正十一年(1583年)に富山県と岐阜県の県境の猪谷で上杉方に追われ討死したと伝わります。
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