美濃 / 織田河内守邸



ファイルNo1007

         田んぼの中の城址碑

@ おだかわちのかみてい 
  別名  −−−−−

A住所:揖斐郡大野町野  
B目標地点:野古墳群
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:雑木林・田畑

F遺構等:郭?・碑
G時代/人物: −−期/織田氏 
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2005年09月

  

道案内 

国道21号線で岐阜市方面から来ると、長良川を瑞穂大橋で渡り、900m先の瑞穂中原の信号で右折し県道23号線に入ります。5Km先の上真桑北畑の信号で直進し国道157・303号線には入ります。1km先、三橋南の信号で左折し国道303号線を進みます。2.5Km先の大野交番西の信号で右折し県道266号線に入ります。1.4Km先の三水川を渡り(左側奥は野古墳群です)ます。農道を通って古墳群の北側、順明寺の南側の道路に城址碑があります。
 
訪城備忘録

この地区には古墳がいたるところにあり、野古墳群の一角にある居館跡です。遺構らしきものはありません。田んぼの中に碑がポツンと立っていました。

邸跡雑木林より古墳を見る
歴史

織田河内守と邸宅と伝えられます。

織田河内守長孝は織田信長の弟の織田有楽斎(長益)の子で、慶長六年(1601年)に野村に1万石を与えられました。長孝の後を織田河内守長則が継ましたが、寛永八年(1631年)に死去しましたが、子が無く、無嗣断絶しました。 近くの大野町西方(西方の信号を入ったところ)に牧村家住宅が残っていますが、牧村兵庫守利定はこの織田家の家臣でしたが、お家断絶後に帰農し、ここに住んだものです。現在残っている母屋は、利隆が元禄一四年(1701年)に建てたものだそうです。

  
野古墳南屋敷西古墳(野3号)より邸跡方向

近くの城・関連の城:野村陣屋