美濃 / 御嵩本陣山城



ファイルNo0940


                           公園への登り坂 

@ みたけほんじんやまじょう 
  別名  −−−−−

A住所:可児郡御嵩町御嵩〜城町  
B目標地点:
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林・公園

F遺構等:郭?・堀切?・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/小栗氏 
H満足度: 凸☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公園駐車場から5分

J撮影・訪問時期:2005年05月

  

道案内  

東海環状自動車道の可児御嵩インタを下り、料金所より左折して国道21号線バイパスを進みます。5.6km先のみたけ工業団地口の信号で右折し、900m先で右折し南山台東の住宅団地に入ります。この団地を越えトンネルを過ぎると右手に登る道があります。ここを登りきったところが城址公園です。
 
訪城コメント
城址碑

主郭にはモニュメントが建っています。明瞭な遺構は認められませんでした。

現地説明板より
歴史

この城は天文年間(1532〜1554年)に御嵩を拠点としていた戦国武将小栗信濃守が築城した山城です。小栗信濃守はこの城を築く以前には隣接する権現山に城を構えていたが、度重なる戦いにより、今後の戦いに万全を期すことを目的とし、より防御の堅いこの地に城を移築したとされます。(別の資料には金山城主森長可が権現山城が堅固で攻めきれず、奇略と巡らし、小栗氏に新城を築かせたとされます。)しかしながら、天文二十一年(1552年)土岐郡高山(原土岐氏土岐町高山)にあった高山城の攻略を目論んだ小栗信濃守の軍勢は、勢い城に攻め入ったものの形勢は不利となり、逆に土岐郡小里(現瑞浪市稲津町小里)に拠点を置いていた武将小里出羽守光忠と恵那郡明智(現恵那郡明智町)に城を構えていた武将遠山与助らの軍勢に攻め込まれ、ついに小栗信濃守は敗戦、御嵩城は落城しました。城主小栗信濃守は自害し、配下の者も四散した。この時の城主の小栗信濃守には、二十歳になる娘があり、この戦いに娘も果敢に参戦し小栗・遠山の軍勢と刃を交えたが、敗北と「父信濃守死す」の知らせに直面し、己の操を守り通すためと父信濃守の後を追うために、城の北側の断崖絶壁より身を投じて自害したという伝説も残り、自害したとされる場所も「甘ヶ平」と呼ばれ今に伝わっている。城が構えられた本陣(ほんじ)山の地形は東西が峻険な斜面となり、北は可児川と面した崖という地理的環境にあり、自然の要害として城を築くには最適地であったという。城本来の規模は今に至っても明確ではないが、本丸・二の丸・三の丸の各曲輪、これらを区切り更に防御の施設となる空堀、そして本丸などの施設を設けた山頂部より枝城に延びた尾根上には、人工的に造り出された小平地の帯曲輪・腰曲輪、物見などが広範囲に設けられていたようである。なお、御嵩城とは、この本陣山城址と権現山城址を合わせた呼称である。
 <現地説明板より >


城跡遠景

  

近くの城・関連の城: 御嵩権現山城