美濃/ 明智長山城



ファイルNo0911

遺構的には乏しい。明智光秀の生誕地の伝承があり、2020年に大々的に整備された

      城址碑 2001年

 あけちながやまじょう 
  別名  

A住所:可児市瀬田  
B目標地点:羽生ケ丘団地or光蓮寺より
    花フェスタ記念公園西ゲート向かい側丘陵

C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林・公園

F遺構等:郭・堀切?・堅堀?・碑・説明板
G時代/人物:室町期
     /土岐氏<明智氏(長山氏)> 
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  羽生団地から10分


J撮影・訪問時期:
2001年06月・2020年12月

  

道案内    ←大手側登り口

東海環状高速道の可児御嵩インタを下り、国道21号バイパスに右折し、次の柿田の信号で左折し県道381号線に入ります。約1.7Km先の羽生ケ丘1の信号で右折し羽生ケ丘団地方向に入ります。(この信号の左角に観光用駐車場があります。) 約300m先で右折し丘陵の麓の道を進むと登城口があります

あるいは、柿田の信号から約600m先の交差点で右折し、約400m先の変則十字路を直進し、約300m先の中瀬田集会所、さらに約150m先を左折し、約300m先正面が大手口です。大手口横に駐車場があります。
 
訪城備忘録

城跡のある丘陵は麓までは両サイドから住宅団地がせまっています。城内は案内板などが設置されていますが、資料によると遺構の確認はとれないようです。

2020年に約20年ぶりに再訪しました。昔は配水池のある付近が主郭(一の郭)と呼ばれてましたが、昔は三の郭と表記されてたところが、今は主郭(本丸)とされてました。 
大手口から登ると石畳の道を進みます。すぐに大手模擬門があります。ここから坂を登ります。登りきると左は東出丸郭<以前は一の郭>、右手方向が二の郭(丸)<以前は表記なし>、主郭(本丸)<以前は三の郭>です。北側に中の郭<以前は二の郭>と表記の平坦地があります。尾根上の二の郭(丸)の平坦地を過ぎると主郭(本丸)です。主郭には新しく2020年に建った明智光秀像があり、北側に展望台が作られてました。主郭の西側は西出丸郭と表記のところになりますが、現在は上水貯水池になってます。全体的には遺構らしくはないですね。主郭北側から降りていく道があります。搦め手道・十兵衛坂とされてました。台所郭と表記されたところを過ぎると谷筋を水の手郭と表記されます。その先いったん登りますが、この斜面に二重堅堀と表記された箇所があり、その上に堀切と表記されてました。堀切の上は西大手郭・乾郭の平坦地です。このまま遊歩道を下りると搦め手門と表記された箇所を越えると天蓮寺の西側に出ます。 大手道口北側に天竜寺があり、ここに巨大(186cm)な明智光秀のご位牌があります。本堂に安置され、明智一族の墓と言われる墓所があります。この城には明智光秀の生誕地という伝承がありますが定かではありません。

大手模擬門
歴史

康永元年(1342年)に土岐頼兼が築城したとされます。頼兼は明智氏と改名し、その後、明智氏の居城であったようで、弘治二年(1556年)に明智光秀の叔父にあたる光安・光久の時に稲葉山城主の斎藤義龍に攻められ落城しました。

西大手郭南側堀切
西大手郭虎口
現地説明板
  
  北側斜面   2001年  搦手郭の石碑
主郭   2001年  西出丸
名称は現地説明板に従います。
天竜寺本堂         天竜寺にある明智光秀のご位牌
明智一族の墓    大手口
中の郭(丸)下から   中の郭(丸)
二の郭(丸)
主郭(本丸)    主郭からの眺望
明智光秀像   西出丸
搦手道から主郭    台所郭
水の手    水の手郭
水の手郭上腰郭      水の手
二重堅堀?
西大手郭南の堀切?
西大手郭    六親眷属幽魂塔
乾郭   乾郭切岸

近くの城・関連の城: 久々利城 ※