美濃 竹中氏陣屋



ファイルNo0908

   水堀と石垣

@ たけなかしじんや 
  別名 

A住所:不破郡垂井町岩手
B目標地点:岩手小学校
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:石垣・水堀・城門・土塁・碑・説明板
G時代/人物: 江戸期/竹中氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分
J撮影・訪問時期:2003年07月・2014年05月
       2023年11月・2024年05月

  

道案内 

大垣市内より国道21号線で来ると、垂井町に入って約2.5Km先の御所野の信号で右折し県道257号線に入り、1Km先の御幸橋で川を渡ったらすぐに左折します。道なりに約2.1Kmほど行くと県道53号線の交差点ですので、いったん左折しすぐの信号を右折し県道257号線に入ります。約750m先左手が岩手小学校でここが陣屋です。

(関が原方面から来ると、国道21号線関ケ原バイパスから県道53号線に入り、約1.2Km先の信号をを左折し県道257号線に入ります。)
 
訪城備忘録

陣屋跡は岩手小学校などになっていますが、東側に櫓門及び石垣と水堀の一部が良好な形で残ります。北側に土塁も残ってます。

陣屋からさらに県道を約300m進み、と東海道本線のガードをくぐって約50m先の左が禅幢寺(ぜんどうじ)があります。ここは竹中重治(半兵衛)の墓など江戸期の竹中氏のお墓があります。竹中重治(半兵衛)の墓は三木から改葬されたとお寺の説明板にありますが。
さらに、明神湖へ向かい、Y字分かれ道(左は橋を渡って明神湖)を右手川沿いに大きなお屋敷があります。ここはW家住宅のようです。W氏は戦国期にはこの地に住み、江戸期は岩手藩だけでなく大垣藩の年貢を取り扱い、両替商を商いとしていたようです。長い塀と大きな長屋門がもう城ですね。

竹中半兵衛重治像
歴史

竹中半兵衛重治が天正七年に陣没後、嫡男重門は幼いため豊臣秀吉の元で育ち天正十六年(1588年)に元服して岩手に入り、菩提山城を廃して新たに岩手に館城を築きました。江戸期に入り竹中氏は6000石の旗本となり十三代続いて明治維新まで続きました。

陣屋櫓門
  
陣屋から菩提山城遠望
菩提山城遠望
櫓門
櫓門(内側)
櫓門横石垣と石段      櫓門石垣から水堀
石垣から櫓門を見る
櫓門北側の石垣
水堀と石垣
禅幢寺(ぜんどうじ)       竹中半兵衛の墓
W家住宅
W家住宅

近くの城・関連の城:菩提山城 ※