美濃 | 菩提山城 |
ファイルNo0900 |
@ ぼだいさんじょう |
道案内 ←城跡 ←白山神社下駐車場からの登り口 ←大手道経由の登り口 | |||
大垣市内より国道21号線で来ると、垂井町に入って2.5Km先の御所野の信号で右折し県道257号線に入り、1Km先の御幸橋で川を渡ったらすぐに左折します。道なりに2.1Kmほど行くと県道53号線の交差点ですので、いったん左折しすぐの信号を右折します。750m先左手が岩手小学校でこの手前を左折し700m先でJR東海道線を越え、坂を登ります。300mほど登ると右手に駐車場があり、白山神社の登り口があります。ここより白山神社(神社本殿を正面に左手)を経て、尾根筋を登ります。(関ケ原方面から来ると、国道21号線関が原バイパスから県道53号線に入り、1.2Km先を左折します。) また、大手道経由はお茶屋口など3ケ所あり、いずれの道もすぐに合流し大手道筋を登ります。白山神社からも、大手道経由の道も城跡手前8合目くらいで合流します。 2024年5月に林道明神線が開通したので6月に行ってみました。県道257号線を明神湖の一番奥まで行くと県道は左折になります。約400m進むと左手に林道がありここに入ります。約700m先で林道が左手にあり(直進の県道はここより通行止め)、約3kmほど登った林道途中に菩提山城への登城口があります。林道の右手は未舗装の大きな広場状になってました。登城口から約400m先で出丸の下の畝状堅堀と所に出ます。 |
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訪城備忘録 | |||
白山神社より40分程度、大手道経由で2kmで山頂です。白山神社側は距離は短いようですが、階段状の急な道、大手道経由は距離は長いですが、階段状はほとんどなく、もしかしたら大手筋の遺構かなという箇所が何箇所かあり、その分飽きません。2004年に白山神社経由で訪城し、2014年に大手道経由で再訪しましたが、10年前に比べ、ほどよく整備され、おせっかいな過剰整備もなく、当時の縄張りを楽しめます。 徒歩で登ってきたら、城域主要部に入る手前、やや主要部から離れた所に堀切と土橋が残ります。 主要部に入ると大手郭と二の郭下の間の堀切を通り三の郭に入ります。 主郭下には西から出郭(丸)、三の郭(丸)、台所郭と続き、切岸を登ると右手に二の郭、左手に主郭となります。 主郭の手前にあるI字とL字の空堀で虎口空間が作られています。馬出しの標識が立っています。城郭用語ですから馬出なんですが、山上でこの用語はいつも違和感がありますわ^^;(笑) まあ、虎口もそうかもしれないけど。こういった空堀を山城の山頂部で見るのは少ないです。技巧的な縄張りと感じます。 主郭下右手、西の郭があり、主郭の切岸沿いに横堀があります。さらに、尾根両斜面に巨大な堅堀があります。北尾根は段郭状の平坦地が続いているという感じで、浅いですが堀切も見られました。 この城のもうひとつの見所は、南西側の説明板では三の郭と出郭とされている郭の間にある大きな堀切及び出郭(丸)の外側にある畝状竪堀及び堀切と両サイドの大きな竪堀の組み合わせです。どれも見事な遺構です。 |
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岩手氏の居城ですが、築城時期は不明のようです。永禄元年(1558年)に岩手弾正左衛門頼重を大御堂城の竹中重元が攻め追放し、この城を大改修し、永禄四年(1561年)頃完成させたようです。重元の子の半平衛重治は、永禄七年(1564年)に斉藤龍興を諌める為にわずかな兵で稲葉山城を占拠しました。その後、織田氏に属し木下藤吉郎秀吉(豊臣秀吉)の与力として活躍しますが、天正七年(1579年)に播州三木城攻めの陣中で没しました。重治の子の重門は岩手に館城を築いて菩提山城は関ケ原の戦いの頃に廃城になったと思われます。 |
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道案内・大手道を徒歩にて |
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道案内・林道経由車にて |
林道明神線 |
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近くの城・関連の城:竹中氏陣屋