美濃/ 玉城



ファイルNo0907

   堀切

@ たまじょう 
  別名 

A住所:不破郡関が原町玉  
B目標地点:胡麻の郷
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・畝状竪堀・説明板
G時代/人物: 南北朝期/佐竹氏? 
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  城山登り口から15分

J撮影・訪問時期:2004年05月
         2022年04月

  

道案内 

名神高速道関が原インタを下り、料金所を出て左折し国道21号線へ向かいます。700m先の関が原西町の信号を左折し国道21号線に入ります。1Km先の不破の関跡前を越えて300m先の山中で右折します。300m先の教楽寺前を越えたところで右折します。細い道を1Km進むと左手にある山が城山です。道が峠になっているところに登り口があります。<国道365号線の玉の信号で県道229号線に入り、胡麻の郷手前で左折し山に向かっても行けます。>15分ほどで山頂に到達し休憩所が設置してあります。
 
訪城備忘録

山頂の郭は東西に細長い感じで思いのほか広いという感じですが目立った遺構が見られません。2022年訪城時、2004年に比べ城内はわりと綺麗になったという印象ですし、東屋が建ってました。戦時中に陸軍の弾薬庫に使用されたとの事で「陸軍境」という石柱ややたら石柱の列が並びます。主郭から西側へ歩いていくと大きな堀切が残り、さらに堀切のところから主郭下の北側斜面に歩いていくと数条の竪堀が見ることができます。竪堀の位置から郭面を見上げると城壁が高いです。山頂の遺構の無さに比べ北側斜面と西側堀切はしっかりした遺構です。郭面に大きな窪みや北下帯郭に土塁囲みの小郭、石積み囲みの小方形がありますが、戦時中の施設の跡か炭焼きの跡か? どちらにしても遺構ではないんでしょうね。


主郭の説明板
歴史

南北朝期に足利尊氏に追われた佐竹義春が砦を築いたとされます。戦国期に入り、浜六兵衛・杉山内蔵助が在城したとも伝えられます。<現地案内板より>

堀切と土橋     竪堀
主郭からの眺望(伊吹山)
  
主郭東屋       東屋を背後から
主要部郭     北側下帯郭
西下堀切
西下堀切
西下堀切
西下堀切
北側下の竪堀@
竪堀のある斜面からの城壁
北下竪堀A
北下東側竪堀
北下東側竪堀と土塁状の支尾根
支尾根の反対側郭
主郭東下郭         主郭北下帯郭の土塁囲み
  
登城口     登城道
登城道から城壁(主要部下)

近くの城・関連の城: 山中城(大谷吉継陣所) ※