美濃/ | 大谷吉継陣所 山中城 |
ファイルNo906B |
@ せきがはらおおたによしつぐじん |
道案内 | |||
名神高速道関が原インタを下り、料金所を出て左折し国道21号線へ向かいます。700m先の関が原西町の信号を左折し国道21号線に入ります。1Km先の不破の関跡前を越えて300m先の山中で右折します。300m先の教楽寺前を越えたところで右折します。細い道を200mほど進むと大谷吉継の墓の案内標識があり、ここより谷筋を進み大谷吉継の墓を越えて尾根沿いをさらに進むと陣所=山中城です。 または、国道から右折し200mほど右手集落から背後に行くとJR線があり、ここを越えて若宮八幡宮に行き、八幡宮背後を登ると陣所です。 |
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訪城備忘録 | |||
神社裏手丘陵上に陣所跡がありました。碑の周囲を歩くと竪堀状の窪みや土塁上の高まりが確認できますが、縄張りという形では確認できないため、自然地形あるいは昔の畑地とかかもしれませんが、関が原の陣所の中では城らしい雰囲気のある場所です。 |
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山中城については詳細不明。 この地は東山道を見下ろし、松尾山に対峙した要害の地で古来から山中城と言い伝わる所です。慶長五年(1600年)九月三日、吉継はここに到着し陣営を築き、十五日未明の三成の到着を待ったと言われます。 <現地案内板より> 西軍が敗れたことを悟った吉継は自刀しましたが、家臣に自分の首を敵方に渡すなと命じました。首が滋賀県の米原駅近くに埋められたという伝承があります。 |
大谷吉継首塚 2018年04月 住所:滋賀県米原市下多良 湯浅五助の介錯で自刀した大谷吉継の首を敦賀に運ぶため甥の僧である祐玄が逃亡中に首級をここに埋めて隠したという伝承がある場所です。 <現地説明板より> |
近くの城・関連の城:関が原 ※