美濃/ 愛宕山陣



ファイルNo0485

      五人塚

@ あたごやまじん 
  別名  

A住所:郡上市八幡町島谷
    旧:郡上郡八幡町
 
B目標地点:愛宕公園
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林・公園

F遺構等:郭・類似石碑・類似説明板
G時代/人物: 戦国期/遠藤氏 
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2004年12月

  

道案内  

東海北陸道の郡上八幡インタで下り、国道156号線を郡上八幡市街方面へ進みます。600m先の城南の信号で左折し国道256号線に入ります。1.5Km先の右手の市役所を通り過ぎ、さらに300m進みだ所を右折し進むと愛宕公園・愛宕神社があります。この周囲が愛宕の陣という事になります。さらに神社の東側(五人塚のある所)より登山道を登ります。10分ほど登ると祠がある平坦地にでます。ここに赤谷山城址の碑がありますが、赤谷山は東殿山のさらに奥ですのでこの碑はここに何で立ててあるのかよくわかりません。愛宕陣の遺構とも考えられます。(ここよりさらに60分ほど登ると東殿山城です。)
 
訪城備忘録
愛宕神社

愛宕公園・愛宕神社となっており、陣ですので城郭遺構はありません。ただ、山腹の削平地はもしかしたら愛宕の陣の名残かもしれません。

山中中腹削平地
歴史

慶長五年(1600年)の石田三成挙兵に際し、郡上八幡城主稲葉貞通は西軍に呼応し犬山城に入城しました。この間に遠藤氏・金森氏は郡上八幡城を攻撃しました。遠藤氏が陣を置いたのが愛宕山です

<五人塚>
この戦いの際、郡上八幡城の稲葉勢が愛宕山の遠藤の陣を急襲した際、五人の勇者によって食い止められ遠藤慶隆は小野山の金森氏の陣に逃れられた。寛文十二年(1671年)に郡上八幡城主遠藤常友は碑を建てました。

  

近くの城・関連の城: 郡上八幡城 ※