美濃 / 大桑



ファイルNo0483


               主郭とミニチュア天守

@ おおがじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 岐阜県山県市大桑〜青波
    旧:山県郡高富町
 
B目標地点:
C形式:山城  D比高:370m 
E現況:山林  居館部:宅地・畑地

F遺構等:堀切・竪堀・土塁・井戸・石垣
G時代/人物: 戦国期/土岐氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登山口から70分

J撮影・訪問時期:2005年01月

  

道案内    ←登城口

東海北陸道関インタを下り、国道248号線を西に進みます。山田の信号で右折し国道156号線に入ります。 国道418号にぶつかりましたら国道418号線へ左折し進みます。<東海北陸道の美濃関JCTから東海環状道に入り、関広見インタで下りると国道418号線です>  国道256号 にぶつかりましたらこれを左折し国道を南下します。 桜尾小前の伊佐美の信号で 国道は左折しますが直進して県道174号線に入ります。信号すぐを右折し桜尾小前を進む道がいいのですが(県道174号線と並行に進みます。)、県道174号線をそのまま進んだ場合は、2.1km先で大桑市場のバス停方向に斜め右に入るか、2.8km先の大桑小の手前を右折してください。 この集落の一番 北側の東西に伸びる道に出るまでに 何ヶ所か大桑城の標識がでますのでそれにしたがってください。老人ホームの脇を越えて北に進み山裾まで行くと道はT字になりますので左折してしばらく行くと登山口の駐車スペースに至ります。 椿野というバス停(集落の北側で東西に伸びる道)から老人ホームまで の間は大桑城の城下町跡になります。 宅地と畑地になっていますがその中に四国堀と呼ばれる長さ100mほどの空堀と土塁が見事に残っていました。このあたりは大桑城の城下町にあたるとのことで、この堀は 一乗谷の城戸の如く、境界線のための堀であったようです。 四国堀は 土岐氏が四カ国に応援を頼んで築いたので四国堀というようです。

訪城備忘録

大桑城に登り口には「熊注意・単独行動不可・自己責任で登ってください」の但し書き・・・。そこより40分ほど登ると「馬ならしの場」と呼ばれる郭に着きます。左手尾根先端まで細長い郭があります。この日は雪に覆われていましたが尾根先端より一段下がると明瞭な堀切があり、そこに土橋があり、土橋下は石垣にて補強されているようです。登山道に戻りさらに上を目指します。途中見張り台のような郭のありますが、大きな郭は先ほどの郭以外にありません。主郭に登る手前左手(北側)の斜面に段郭が続きますが、この日は積雪があり降りて行くの断念しました。郭の斜面に石垣があるようです。反対側南の斜面を50〜60m下に井戸跡があります。距離は135m先と書いてありました。南斜面ですから雪は少ないと思い降りて行きましたが急斜面で難儀したです。 井戸は透明度があり、いまでも飲めそうです。この井戸は露井戸と呼ばれています。そばの斜面には石垣もありましたが、遺構でしょうか? 井戸より再び斜面をのぼり尾根に出て、主郭へと登ります。山頂を削り込んだ削平地に石碑が建っています。さらに山頂部には高さ2mほどの天守のミニチュアがあります。麓から見るとりっぱに見えますが、近くで見ると・・・(^_^;) 

麓より遺構を見ながらで1時間半の道のりでした。ここからの眺望はすばらしいです。遠くに岐阜城の天守も見えます。この日は晴天で青と白のコントラストが格別でした ここは土岐氏の守護所にもなった城ですが、山が険しいという点では岐阜城並ですが 山頂部の遺構はさほどの規模を感じませんでした。やはり麓の館が主なんでしょうね。 

四国堀
歴史

築城時期は定かではないようです。承久の乱(1221)の以後に地頭の逸見氏が関東から入部しているようです。明応年間(1492〜1501年)に八代守護の土岐成頼の二男で九代守護の政房の弟にあたる定頼が大桑城を改修して大桑氏を名乗ったとされます。天文四年(1535年)に長良川の洪水が守護の館があった枝広(守護館は革手から福光さらに枝広に移っています。)を襲いました。土岐氏最後の美濃守護の頼芸はに大桑城へ移りますが、天文十二年(1543年)に道三が大桑城を攻めます。越前朝倉氏や尾張織田氏の仲介で和議が成立すしますが、天文二十一年(1552年)に再度道三が攻めて、頼芸は退去し土岐氏は滅亡し大桑城は廃城となりました。

堀        露井戸
      主郭・石碑         頂上よりの眺望(岐阜城方向)
  
ミニチュア天守        郭    
四国堀
  城跡遠望            山頂からの眺望

近くの城・関連の城:革手城 岐阜城