大桑城2  


ファイルNo0483−2

林道からの登城道途中の石垣
林道から尾根に上がる所の石垣痕跡   岩場のピーク     
斜面の崩れている石群(崩落石垣のよう)
登城道から尾根を見上げて見える残存石垣
尾根上 1
 斜面にある残存石垣(林道からの登城道からやや外れ支尾根を登ったところの石垣群)
支尾根筋を登った最初に見る残存石垣@ この上に小郭がある。
最初の残存石垣@を反対側から
斜面に崩れている残存石垣A
最初の小郭の上の郭にある残存石垣B
残存石垣Bの上にある残存石垣C(規模が大きい)
残存石垣Bの右手下から残存石垣Cを見る
岩場のピークからの眺望
尾根からの眺望 雲海
尾根からの眺望 雲海
尾根上 2
霧井戸(切井戸)への斜面奇岩     霧井戸(切井戸)   
霧井戸(切井戸)
霧井戸(切井戸)下石垣
尾根からの眺望
尾根からの眺望
主郭下郭(伝 台所)
主郭北西下石垣
主郭への斜面    主郭(伝天守台)    
ミニチュア天守
主郭石碑     主郭を上から
ミニチュア天守
ミニチュア天守    山頂郭
主郭からの眺望
主郭付近からの眺望 雲海
主郭付近からの眺望 雲海 右の山は岐阜城
山頂からの眺望
主郭北側下斜面(段郭)
主郭北側下竪堀(片堀切) 上から
主郭北側下尾根
主郭北側下竪堀(片堀切)
主郭北側下竪堀(片堀切)
主郭北側下尾根上堀切
主郭西下石垣痕跡   主郭西下谷間郭群
西側尾根竪堀
西側尾根
西側尾根とその下石垣痕跡
西側尾根食い違いに竪堀が入る
竪堀
馬場
馬場側下堀切
馬場北側下堀切
馬場北側下堀切
馬場北側下堀切
馬場北側下堀切
番所・岩門
番所・岩門
番所下石垣
眺望
桔梗塚 

東海北陸道美濃関ジャンクションから東海環状道に入り、山県インタで下りると国道258号線新道です。(まだ未完成)  国道256号新道を約200m南下した西深瀬の信号を左折し約500m先の富岡小前の信号で国道258号線に左折します。約1.6km先の伊佐美の信号は右折し国道を進みます。(左折は県道174号線で大桑城へ至ります。) 約5km先、美山大橋北の信号を越え、美山第一トンネルを越えたら、約200m先で路地に右折します。すぐのT字路を左折し、約300m先が白山神社で、この神社の左手高台が桔梗塚です。


小さな五輪塔などありますが、どれが(伝)光秀の墓なのかよくわからんです。五輪塔がそうみたいです。いずれにしても小さなお墓でした。

地元の伝承では光秀は土岐元頼とこの地の中洞源左衛門の娘との間に出来た子でこの地で生まれたとされるようです。七歳の時に父が亡くなったため、明智光綱の養子になったとされるそうです。本能寺の変後、羽柴(豊臣)秀吉に敗れ、京都の小栗栖で土民に殺害されたと言うのが通説ですが、京都で死んだのは光秀の影武者の荒木山城守行信であったとされるようです。光秀は荒木の「荒」の字を取って荒深小十郎と名乗り、この地に隠棲したとされます。 関ケ原の戦いの際、光秀は東軍に加勢するため向かいましたが、根尾村で増水した川でおぼれ亡くなったとの事で、遺骸はこの地に埋められたという伝承です。 <現地説明板より>

2023年06月
    伝・明智光秀の墓        伝・光秀の産湯の井戸と白山神社
墓所のある高台を遠景