美濃 / 西保北方城



ファイルNo0474


                                 城跡遠景

@ にしのほきたかたじょう 
  別名 西保城 

A住所:安八郡神戸町西保  
B目標地点:神戸中学・
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:雑木林・田畑

F遺構等:郭・土塁?・石碑
G時代/人物: 戦国期/稲葉氏 
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2003年04月

  

道案内 

名神高速道大垣インタを下り、国道248号線を北上します。7Km先の楽田町の信号で左折し国道21号線に入ります。400m先の中川町の信号で右折し県道212号へ入り北上します。4.9Km進んだ下宮の信号を左折して県道217号線へ入ります。500m先の近鉄養老線の踏切を渡り、700m進んだところで右折し400m程度進みます。この周辺が城跡です。
 
訪城記録

西保の集落の一角の電柱脇に城址碑がポツンと立っています。城跡遺構としては集落背後の田んぼの中の雑木林(竹薮)の中に土塁が残るようですが、夕方だったので入りませんでした。
城址碑
歴史

不破道広が築城したとされます。孫の光治は土岐頼芸に仕えていましたが、土岐氏没落後斎藤氏に仕えました。その後、織田信長に従い、柴田勝家の与力として前田利家・佐々成政とともに越前に領地を与えられ竜門寺城に移りました。西保城は次男の彦三郎が継ぎますが本能寺の変で信忠と共に討死したため城には妹婿の稲葉方通(一鉄の子)が入りました。方通も加茂郡和知に移ったため、天正十八年(1590年)から木村宗左衛門重広が城主となりました。重広は関ヶ原の戦いで西軍に属して子の伝蔵と共に大垣城で戦死したため、西保城は廃城となりました。

  

近くの城・関連の城: 和知城