美濃 / 鷲見城



ファイルNo0436


                              西の丸から主郭土塁と空堀を見る    

@ すみじょう 
  別名  向鷲見城

A住所:郡上市高鷲町大鷹
     旧:郡上郡高鷲村

B目標地点:
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁・石碑・説明板
G時代/人物: 鎌倉期/鷲見氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  館跡にある説明板の所から15分


J撮影・訪問時期:2003年06月

  
主郭土塁

【道案内】  

東海北陸自動車道の高鷲インタを下り、国道156号線に向かいます。約1.6Km先の県道452号線との交差点の高鷲小学校前の信号を左折し県道452号線を進みます。約350m先の浄勝寺の先で左折し100m先を右折した川のそばまで行きますと、ここは居館跡で説明板があります。城には川を渡り山に向かうと案内板がありますのでそれに従い進みます。



【訪城備忘録】

麓より登り出しますと(通称)矢場、東丸を経て主郭に向かいます。矢場・東丸は遺構と言う点では明瞭ではありません。資料にはこの城は基本的には単郭の城とされていて、主郭周辺以外の郭は遺構なのかはっきりしていないようです。主郭下(大手門跡の碑があります。)は堀切状でここに模擬の冠木門が建っています。主郭へ登る手前にも土塁遺構がありますが遺構かははっきりしません。主郭虎口は枡形になっていますが、これも明瞭とは言いがたいものです。逆に主郭奥の土塁、その先の(通称)西の丸(今は神社)との間の空堀は明瞭です。主郭から南側麓に降りていくと、牛の井と呼ばれる池を経て(通称)柳丸と呼ばれる麓の谷間に広い空間がひろがります。武家屋敷でもあったようにも見えますが、ここも遺構ではないようです。


【歴史】

築城時期は諸説ありますが、文治元年(1185年)頃の築城、居館は永暦元年(1160年)頃に築かれたとされます。鷲見氏は鎌倉期の地頭として鷲見郷を支配しました。南北朝期には足利方(北朝)として勢力を伸ばしますが、戦国期に入ると衰退し、郡上八幡城の遠藤氏に従っていたようです。関が原の戦い後に廃城になったようです。

  
主郭虎口
  
主郭下大手(模擬冠木門)
    
  

近くの城・関連の城:郡上八幡城

          

西の丸から空堀A   主郭城址碑  
居館跡     東丸跡
山麓の郭跡?(柳丸)  現地案内板より