道案内 ←登り口 ←城址 |
東海北陸自動車道の白鳥インタを下り、県道82号線を北へ進みます。約2.5Km先で県道82号線と県道316号線が分かれますが、道なりは県道316号線に進むようになってますのでここを進みます。牛道川を渡り300m先に点滅信号があり、この信号から100m右手に旅館の入口看板がありますのでそこへ∧字に路地へ入ります。50m先に忠魂碑がありこの前が広くなっています。忠魂碑の横には六ケ城城址碑があります。城址碑より10mほど右手に行くと三基の墓がありその背後を見上げると10mほど上に六ケ城代々供養の地という碑が見えます。ここから登ります。
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訪城備忘録 |
県道82号線から県道316号線に入る橋の手前の道沿いに大きな説明板があります。県道316号線で牛道川を渡って右手に見える台形状の山の先端が城跡です。山麓を巡って見ましたが登れるのは県道に近いところ(集落のはずれ)の「六ケ城代々供養の地」という碑があるところの上部に小さな祠があり、その祠の後ろから薄いですがジグザグで上に登る道があります。ここを登ると大手筋という標柱の所に至ります。私は登りではこの道がわからずほぼ直登状態で登ってしまいました。直登と言っても尾根先端までは比高60mくらいでしょうか。そんなにきつくはないのですが、斜面が急で岩がゴロゴロしていますので直登にしても左に回り込みながら木立を支えにできるように登りました。尾根先端にのぼりますと大手及び二の郭です。ここから二の郭の土塁を越え一の堀切を越えると主郭です。その先は主郭の石積みがあり、二の堀切があり、さらに狼煙台があり小郭の先が搦め手側の堀切に至ります。麓の説明板で少し期待を込めて登りましたが、夏場という事もありますが草木が伸びていて残念ながら期待したほど明瞭な遺構ではありませんでした。それでも一の堀切、二の堀切、主郭の石積み、石積みされた狼煙台の穴ははっきりとした遺構を見学できました。また、城内各所に案内標識が立てられていてこれは助かりました。
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主郭
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狼煙台の穴
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築城年代、築城者は定かではありませんが、戦国期は東氏の家臣であった猪俣五平次義綱が居城したと伝えられます。天文九年(1540年)の越前朝倉氏の攻撃では、白米を流して滝のように見せたり、白米で馬を洗い水があるように見せた白米伝説があります。東氏滅亡後、時を経て、長久手の戦いでは義綱は池田氏に属していたようですが討死し、城は廃城となったようです。 <現地案内板より>
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