道案内 |
上信越自動車道の上田菅平インタより国道144号線に入り上野の信号を越え、伊勢山の信号で左折し上野の集落を通り、500m先の十字路で右折します。細い路地を抜けると麓の案内板と城跡標識に出ます。その先の畑地より北へ向かう尾根を登りだします。途中道標がありますので安心です。10分程度で東西に走る尾根に着きます。左に行くと米山城(約10分)、右に行くと戸石城(約15分)となります。(あるいは陽泰寺まで行き、左手より登ると大手口(戸石城と本城の間)に至るようです。)
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訪城備忘録 |
麓より尾根まで登り右手に進み登ります。本城は石垣及び前面に広域な居住スペースの遺構があり見応え有ります。規模は違いますが近江小谷城に似た感じがあります。 戸石城は、戸石城塞群の中では一番南側で低い位置にあります。北側に深い堀切があります。 本城は、城塞群では広大な領域を持ちます。戸石城より登ってくると大手口を越えスロープのような土塁を登って行くと家臣団の住まいがあったのでしょうか?山上ながら大変広い平坦地に出ます。東に一段下がった郭も広いと言う印象です。本城(主郭)虎口には石垣が残ります。本城の広い平坦地で殿舎が建てられていたと想像します。 桝形城は、城塞群では一番北の最高地にあります。詰の城というより見張りの城という感じでしょうか
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桝形城
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築城年代は不明ですが戦国期に村上氏が小県方面への拠点にしていました。戸石城は「戸石城+本城+桝形城」という3つの別郭で総称として戸石城となり、出城的な米山城も加えて城塞群を形成しています。天文十九年(1550年)に村上義清が武田晴信(信玄)を大敗させた「戸石崩れ」は有名ですが、天文二十年(1551年)に真田幸隆は諜略でこの城を単独で落としました。真田幸隆の子の真田昌幸もこの城に居城しましたが、天正十一年(1583年)に上田に移り上田城を築城しました。それ以後も上田城の支城として機能しました。 <現地案内板 参考>
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