信濃/ 義仲館



ファイルNo1304


                          城址碑  

@ よしなかやかた 
  別名 

A住所:木曽郡木曽町(日義村)宮ノ越 
B目標地点:旗挙八幡宮 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:神社・田畑 

F遺構等:碑 
G時代/人物:平安期/木曽氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2006年03月

  

【道案内】 

中央自動車道中津川インタから国道19号線を木曽方面へ55km先が木曽福島(現木曽町中心部)でそこよりさらに10Km先、旧日義村の宮ノ越駅を越えた先の国道19号線左側にあります。(日義への他のインタは中央自動車道伊那インタから国道361号線で約20Km、国道19号に入って1Km先です。あるいは長野自動車道塩尻インタから国道19号線で約40Kmです。)



【現況・訪城記録】

木曽川の河川段丘上で国道19号線沿いから少し入ったところの旗挙八幡宮が館跡です。これといって遺構は無いようです。



【歴史】

木曽義仲は源義賢の次男として久寿元年(1154年)に武蔵の大蔵館(嵐山町)で生まれました。父義賢は源義平に討たれ、義仲は 斉藤別当実盛らのはからいで信濃に逃れ中原兼遠にかくまわれ生育しました。十三歳で元服し木曽次郎義仲と名乗り、治承四年(1180年)、以仁王の平家討伐の令旨を受け、にこの地で挙兵しました。なお、愛妾の巴御前、妻の葵御前ともに兼遠の娘と伝えられます。寿永二年(1183年)の倶梨伽羅峠の戦いでは平維盛を破り、京都に入りました。京都に入った義仲は、従五位下左馬頭に任ぜらましたが、義仲軍の中に略奪を行うものがいたりして、後白河法皇や貴族社会は義仲を嫌うようになっていき、法皇を幽閉して政権を掌握し、征夷大将軍に就任したが、源頼朝と敵対するに至り、元暦元年(1184年)源範頼・源義経率いる頼朝軍に敗れ、近江栗津(大津市)で討死しました。

  
館跡より木曽谷を見る
  
  
  

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