信濃/ 湯川城



ファイルNo0974


                    湯川城(桝形城)の碑と背後城地、後方の山は朝倉山城        

@ ゆかわじょう 
  別名  −−−−−

A住所:茅野市北山 
B目標地点:北山小〜功徳寺
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:郭・堀切・土塁?・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/武田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2005年08月

  

道案内   

中央高速道諏訪インタを下り、国道20号線新道を越え、国道20号線四賀南神戸の信号で右折し1.2Km先の上原の信号で左折し国道152号線に入ります。2.5km先が鬼場橋で、鬼場橋より6Km先が斧ケ沢の信号です。堀の信号の600m先の湖東新井の信号で左折し国道旧道に入ります。さらに斧ケ沢の信号で国道旧道は左折です。800m先右手が北山小学校でこの前の路地に左折します。300m先に農道の十字路がありこの左手に奥に原の城の案内板があり、右折し20mで湯川城の城址碑、200m先で左折し農道を進むと桝形城の案内板のところに至ります。
 
訪城備忘録
桝形城の沢

桝形城、原の城を包括して湯川城と呼ぶようです。西側の山頂には朝倉山城が詰城としてあります。桝形城・原の城ともに明瞭な遺構は残っていません。桝形城には以前は丸馬出しも残っていたようですが耕地整理で消滅したようです。桝形城南側には砦の沢と呼ばれる自然地形を利用したと堀があり、原の城も東側に自然地形でしょうけど堀となっている箇所があります。

湯川城(桝形城)縄張り図
現地案内板より
歴史

湯川城は南北の渋川と滝の湯川の間の高台にあった広い城で、枡形城、原ノ城を含みます。両城の間には深い堀があり砦の沢と呼ばれています。天文年間に武田信玄の築城と伝えられ、大門峠の棒道筋で佐久方面への進攻や川中島出兵等の拠点として利用されたと考えられます。 <現地案内板より>

湯川城(原の城)縄張り図
現地案内板より
湯川城(原の城)城址碑             原の城の堀
  

近くの城・関連の城: 朝倉山城  鬼場城