信濃/ 吉岡城



ファイルNo0350


                            主郭と殿郭の間の堀切

@ よしおかじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 下伊那郡下条村陽皐 
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:公園・畑地・宅地

F遺構等:堀切・碑・説明板
G時代/人物: 室町期〜/吉岡氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  吉岡城公園駐車場より1分

J撮影・訪問時期:2001年05月

  

道案内   

飯田市内より国道151号線を阿南町・愛知県方面へ南下します。下条村陽皐(ひさわ)地区で国道151号線沿いに「吉岡城城址公園」の標識がありますのですぐ判ります。
 
訪城備忘録
城址碑

本郭は公園となっていますが、城跡という雰囲気ではありませんが、兜石や公園下には樋掛石とかなにか城に関わるように説明板のついた石があります。殿郭は神社となっています。この本郭と殿郭の間の堀切は明瞭です。さらに殿郭の先端部に堀切が残ります。本郭と二の郭の間の堀切は国道151号線となっています。二の郭の外は城下町ですが、今は農村の風景です。ただ、升形門跡などの説明板が立っています。

殿郭先端部の堀切
歴史

下條氏は甲斐源氏(武田氏系)小笠原氏の庶流で初代頼氏が大沢城に入りました。この系統は五代で断絶し、文明二年(1470年)に深志小笠原政康の子の康氏が下条氏を継ぎます。文明七年(1475年)、康氏が吉岡城を築き大沢より移りました。天正十年(1582年)の織田氏の信濃・甲斐侵攻時に落城し、九代信氏・十代信正親子は三河に逃れます。十一代の信安は家康の助力で吉岡城に復帰しますが、天正十五年(1587年)、十二代牛千代(信正の子)の時、家中の内紛で改易となり、下條氏は滅亡します。吉岡城は江戸初期に代官所として利用されていましたが、寛永年間に取り壊されました。 <現地説明板より>

  

近くの城・関連の城:大沢城