信濃/ 松岡城



ファイルNo0340

河川段丘上の連郭城郭が見事に残る

                            二の堀

@ まつおかじょう 
  別名 松岡本城・松岡大城

A住所: 下伊那郡高森町上市田新井 
B目標地点:松源寺
C形式:丘城  D比高:60m 
E現況:寺・山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/松岡氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  松源寺より8分

J撮影・訪問時期:
2002年01月・2017年03月

  

道案内   

JR飯田駅前より、国道151号線・県道15号線の交差する次の信号を左折して県道15号線に入ります。桜町1.2の信号で左折となります。JR桜町駅横を越えJRを過ぎた次の信号を右折します。(本来の県道15号は直進ですが、右折の県道15号です 新道ですかね) 右折して3Km先で県道15号は終わり、直進はス-パー農道になりますが、そのまま進みます。さらに1Kmほど走ったところ右側が耕雲寺です。ここより1.2Kmほどスーパー農道を進んだ右手に松源寺があります。進入路に標識がありますので注意して走行ください。(あるいは国道153号線で進み、高森町出砂原の信号で左折し県道227号線に入り、県道15号線手前のスーパー農道に左折して1Kmほど戻ります。)
 
訪城備忘録
松源寺

高森町や飯田市は天竜川に沿って複雑な地形の河川段丘となっています。段丘の先端にこの松岡城はあります。松岡城は本城と谷をはさんでもうひとつの段丘尾根に松岡南城があります。このような二つの城が一対になっている形態は近くの座光寺(上野)城の北城と南城や松尾城と鈴岡城も同様に見られます。松岡城は河川段丘の最先端部に主郭を置き、二の郭以降をそれぞれ堀切にて区切った連郭式の城です。堀切・郭跡がよく残ります。入り口の松源寺も松岡城の第五郭に位置するところに建ちます。五の堀の外側には三日月堀があったようですが今は失われています。それでも、連郭の縄張りと郭を隔てる堀がよく整備された城跡です。

2017年03月再訪
大河ドラマの影響でしょうか?、見学者が多かったです。この日は天気も良く、梅もほころび、気持ちのいい日でしたのでお城の散策には良い日でしたが、それだけでの来訪者の数ではないでしたね。段丘上の郭・堀切だけでなく、斜面も木々が伐採され見やすくなってました。主郭下の空堀、南斜面の横堀は綺麗に見られました。しかし、主郭下の斜面の両南北斜面にある竪堀群は不明瞭な感じでした。また、主郭土塁の南西角に石積みの痕跡のような箇所もありました。

【井伊直親】
松源寺は井伊直政の父の井伊直親が九歳で井伊谷から逃れてここ松源寺で十年匿われました。後年、松岡氏が徳川家康によって改易となった際、井伊直政にお預けとなり、その後、直政の家臣となったようです。

主郭虎口
歴史

南北朝期の松岡氏の居城です。南北朝期は北朝方として活動し、戦国期には武田氏の伊那谷侵攻後は武田氏に従いました。天正十年(1582年)、武田氏が滅亡後は徳川家康に従いましたが、天正十六年(1588年)に家康によって取り潰しされました。これは、秀吉と家康が対立していた時、秀吉方に内応の動きを見せたためとされます。松岡城も廃城になりました。 

二の堀
現地案内板より
五の堀             松源寺山門
  
  四の堀          三の堀と土橋
       三の堀            三の郭から二の郭・主郭方面
二の堀
二の堀
主郭虎口        一の堀
一の堀と主郭虎口・土橋
主郭土塁
主郭
城址碑             主郭からの眺望
主郭下横堀
主郭下から主郭
主郭南下郭             主郭南下堀
横堀
横堀

近くの城・関連の城: 座光寺(上野)北城南城 松岡南城