信濃(中信)の城002  

                                                                               

花岡城  0391
主郭切岸

城址碑
A 岡谷市湊 B花岡公園  C丘城
岡谷JCTそば、岡谷市内から県道16号線で釜口橋を越え、すぐ右折し200mほどで左折し公園の駐車場に向かいます。朝の5時に訪城でした。主郭背後は大土塁とありますが現在城址は公園になっていることもあり土塁という感じには見えません。段郭の平坦地など城郭の地形は認められますが、そばまで住宅がせまっており遺構は不明確のように感じます。

F遺構等:土塁?・切岸・石碑・説明板  G鎌倉期〜/花岡氏  H満足度:凸
築城年代はなどは定かではありません。有賀氏(諏訪氏の支族)の支族の花岡氏の居城とされます。有賀城は承久年間(1219〜22年)の築城とされ、また、その頃に有賀四郎がここに居城したいう史料があるようで花岡城もこの頃の築城と考えられます。天文十七年(1548年)に武田支配に対しての諏訪西方衆の反乱が起こり花岡氏も加わりますが敗れ、有賀城には原美濃守虎胤が入り花岡城は廃城になったものと思われます。

J訪城:2002/06
  
小坂城  0392
荒神山遠望
A岡谷市湊小坂 B観音院  C丘城
岡谷市内より県道16号線で進み、小田井の 信号で斜め右の旧道を進みます。信号より1Km先山吉前バス停付近で右折し観音院・下照姫神社側に入ります。そのまま中央高速道のそばまで行き右手側が城址の付近です。
城址は中央高速が貫通しており、ほぼ消滅している感じです。城址に近い観音院には信玄の側室(諏訪頼重の娘・武田勝頼の母)の諏訪御前(湖衣姫・由布姫)の墓(供養塔)があります。また、ここの諏訪湖沖に信玄のI遺体が沈められているという伝説があります。

F遺構等:土塁  G戦国期〜/小坂氏  H満足度:凸
築城時期は定かではありませんが、康正二年(1456年)諏訪氏が総領家と大祝家に分れた頃に小坂城も築城させたと考えられます。天文十七年(1548年)に武田支配に対しての諏訪西方衆の反乱が起こり小坂氏も加わりますが敗れ廃城になったと考えられます。


J訪城:2002/06
   

武居城  0409
城址碑
A 諏訪市中洲  C山城
中央高速道諏訪インターより国道20号線で甲府方面向かい、沖田三丁目の信号で右折し500m先で県道16号線に入り高部の信号で右折(県道16号線キープ)し200m先を左折、神長官守矢資料館前を過ぎ300m先の台地の上及び背後の山が城址のようです。 この城には二度お訪れましたが、台地の上は一面畑地です。後方の林道を進むと竪堀状の箇所がありますがこの上が城址なのか??・・・。城域にはいるとは思いますが主郭に到達できていません。

F遺構等:竪堀?  G鎌倉期〜/諏訪氏  H満足度:凸
元徳二年(1330年)に諏訪五郎時重にて居館を構えたのがこの城の始まりです。文明十五年(1483年)に大祝継満が総領家と争いいったん高藤に逃れ、翌年再挙しこの古城を利用したと伝えられます。天文十一年(1542年)の武田氏侵攻以降、武田方城代が守りますが武田氏滅亡後廃城になったと考えられます。

J訪城:2002/06