東三河 川手城



ファイルNo3942


              主郭背後大堀切              

@ かわてじょう 
  別名  

A住所:豊田市川手町
   旧:東加茂郡(北設楽郡)稲武町川手 
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:60m 
E現況:宅地

F遺構等:郭?
G時代/人物: 室町期/山田氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  15分


J撮影・訪問時期:2023年05月

  

道案内 

国道153号線から稲武町中心部より稲武町の信号から国道257号線に入ります。約9km先、岐阜県境手前の矢作川と名倉川の別れのところで左折し県道356号線に入ります。約500mほど進むと左に斜面を登る道の入口に川手城の標識がありこれを登ります。標識に従いを登った先の鉄塔の先が城跡です。
  
訪城備忘録

2004年に一度探しましたが場所が特定できずに断念していた城跡です。 2020年頃に整備されたようでしたので機会を見て訪城したいと思ったいたんですが、2023年にやっと行けました。

県道沿いの標識のある所から坂道を登って行きます。途中、沢沿いを行きますが、何カ所か案内標識があるので迷いはしないとは思います。最後沢沿いから左手上に登り、少し行くと城域です。今は廃屋となっている家のある所が三の郭、その上、鉄塔が建っているところが二の郭と伝わるようです。この二つは広い平坦地で山城というより居館跡という趣です。鉄塔ある二の郭の北側に横たわっている尾根先端が山城部です。右手に大きな堀、その左に櫓台であろう大きな土塁が見渡せ、左端側に主郭が見えています。

鉄塔のある二の郭から木橋で沢を渡り、斜面の細道を左上に登って行くと主郭に至ります。主郭もそこそこ広い空間です。主郭の西端下に下郭があり、その先に深い堀切があります。主郭に戻り主郭背後は大土塁で櫓台と思われます。大土塁の背後は深くて鋭角の切岸の大堀切です。 これは深い。

戦国期前期の山城と戦国期後期の居館が混在しているという事だろうか。二の郭、三の郭は相当に改変されているんだろうな。

主郭の説明板
歴史

南北朝期、山田頼範が築城とも、室町中期に築城とも言われるようです。最初は川手古城が居城で、その後、山田氏の本城になったとも伝わります。山田氏は尾張の山田重忠の子孫と言われるようです。南北朝期に足助氏を頼ってこの地に移住したようです。山田氏は南朝方であったようですが、その後も存続し、今川氏に従いました。永禄三年(1560年)に武田氏攻められ落城し、その後は武田氏の山県昌景に従ったようです。武田氏滅亡直後は徳川氏に従い、天正十年(1582年)、(山田)川手良則、良行親子は井伊直政に仕えたようです。関ケ原の戦い後、直政に従い彦根に移り廃城になったようです。 良則の父の山田義尭までは山田氏を名乗り、良範、良行は川手(河手)氏を名乗っているようです。

主郭下郭の下の堀切            主郭背後の大堀切から大土塁を見る
美濃方面眺望
県道登り口      沢から城跡への曲がり
  
鉄塔下から大土塁(櫓台)と大堀切を見る
鉄塔下から大土塁(櫓台)と大堀切を見る
鉄塔下から大土塁(櫓台)と主郭方向
主郭
主郭からの眺望
主郭下郭の下の堀切
主郭下郭の下の堀切
主郭下郭の下の堀切
三の郭
大堀切
大堀切と大土塁(櫓台)

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