東三河の城003/

                                                                               

川路城 かわじ (大坪城・川路市場城・小川路城)  0143
お鷹井戸


城址碑
A新城市川路小川路   
C丘城  
国道153号線(旧道)の川路バス停近く派出所(駐在所)の脇より豊川寄りに入ったところに「お鷹井戸」があります。城址碑はもうお鷹井戸より小道をもう少し南に歩いて行った畑のそばにあります。

C平城
F遺構等:井戸・碑・説明板 
G−−期/設楽氏 
H満足度:凸
築城時期は不明であるが、設楽氏の城です。

J訪城:2004/12
  
岩広城 いわひろ (広瀬城)  0141
城址碑
堀跡
A:新城市富沢  B:茶臼山駅入口信号 C平城

国道301号線より県道446−439号線入り、(国道151号線を新城東高校前の信号で旧道の151号線へ右折するし、平井の信号で)平井信号を越え茶臼山駅入口の信号の先茶臼山バス停の20m前方の右側路地に入ります。民家を抜けると一面田畑が前方に開け、道は左にカープをきりますが、そこに右に入る農道があります。農道前方300mの所に岩広城の白い碑が見えます。農道を抜けると城跡です。城跡は豊川と半場川の合流点にあります。これと言った遺構は残っていなませんが、一段下がった田圃は堀跡と思われます。

F遺構等:堀・碑  
G鎌倉期/設楽氏  
H満足度:凸
鎌倉末期に設楽荘から進出した設楽重清が岩広城を築いたとされます。戦国期の貞道の時代には菅沼氏から室を迎え、桶狭間の戦い以後は松平氏(徳川氏)に属し、江戸期は旗本として存続しました。

J訪城:2003/02
   
来迎松城 らいごうまつ(門前来迎松城)  0142 
城址碑と土塁の痕跡?の盛り上がり
A新城市富永鎌屋敷  
C丘城

増端寺(設楽氏居館)の近くで、やや東側の飯田線沿いに僅かに土塁の痕跡が残ります。


F遺構等:土塁・碑・(堀) 
G南北朝期/夏目氏 
H満足度:凸
設楽貞道の持城で、夏目氏が守将として在城したとの事です。

J訪城:2004/12
川路端城  0645
j城址碑と郭?
A新城市川路  B巴神社  C丘城

新城市中心部から国道153号線旧道で来ると川路郵便局手前の路地に右折し、500mほどで右手奥に巴神社が見えますのでそこまで行きます。巴神社西側に細い道がありますのでそこの突き当りが城跡です。城跡は果物畑のようです。これという遺構らしきものはありませんが、資料には西側の川と面したところに浅い堀が残るとありますがよくわかりませんでした
F遺構等:郭?  
G戦国期/設楽氏  
H満足度:凸
永禄年間の築城と考えられるようです。城主に菅沼十郎兵衛門の名が残るようですが、小川路氏の支城と考えられています。

J訪城:2005/02
設楽氏陣屋  3064 
長屋門
代官家の下
陣屋域
A新城市竹広  
B153号線設楽歴史資料館南の信号
C平城

新城市中心部から国道153号線新道で来ると設楽歴史資料館南の信号で右折し、200m先を右折、路地の先の右手が城域です。


寛政元年(1789年)、旗本設楽貞喬が1400石の内、700石が当地に所有があり、これを治める陣屋として構えました。明治初年まであったようです。代官として滝川氏が陣屋を治め、現在、滝川氏の子孫宅(新城市出沢)に主屋が移築され、長屋門は代官家として江戸期からのもののようです。
J訪城:2016/02