東三河/ 布里城



ファイルNo0761

布里の戦いの舞台

            主郭土塁の痕跡?  

@ ふりじょう 
  別名 栗峯城

A住所:新城市布里
    旧:南設楽郡鳳来町布里

B目標地点:鳳来西小学校の南300m・鳳来西保育園の裏山
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:畑地・林

F遺構等:土塁痕跡
G時代/人物: 戦国期/菅沼氏
H満足度:

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分


J撮影・訪問時期:2005年04月

  

道案内 

新城市内より国道151号線で来ると、有海の信号で国道257号線に入り、鳳来町を北上します。約8Km先の只持の信号で左折し橋を渡り、すぐまた左折し県道436号線に入ります。500m先の左手の鳳来西小学校を見ながらあと300m進みます。西保育園側に左折して保育園の前を通って裏山に登ります。
 
訪城備忘録

豊川沿いの独立した丘の上が城跡です。現在は採土されて遺構の大部分は消滅したようです。ただ、西側の山の神がある周辺に土塁の痕跡が残っているようです。主郭には削り残しのりっぱな土塁のようにみえますが、残念ながら採土された跡で近年できたものだそうです。

城跡遠景
歴史

田峯城の支城で菅沼定直が居城しました。なお、弘治元年(1555年)に布里の戦いがこの地でありました。

≪布里の戦い=田峯城4代定継が作手奥平氏と織田氏方に付き、定継の弟の定直らが今川氏方の残り、戦いとなり定継は破れ自刀したものです≫

城跡北側斜面      遺構ではありません
  

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