東三河/ 岩略寺城



ファイルNo0197

       主郭と土塁  

@ がんりゃくじじょう 
  別名  長沢山城

A住所:豊川市長沢町
    旧:宝飯郡音羽町長沢
 
B目標地点:長沢の城山     
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:土塁・堀・堀切・井戸・猪垣・説明板
G時代/人物: 戦国期/長沢氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  中腹の駐車場より5分


J撮影・訪問時期:2002年01月 他

  
三日月堀

道案内】 

東名高速道音羽インタを下りて国道1号線の信号て右折し、岡崎方面に向かいます。一つの目の長沢の信号で左折し直進、山すそに向かいます。そこで道は左右に分かれるので、左手に向かうと10分ほどで縄張り図のある駐車場に着きます。



【訪城備忘録】

この城は今川の前線基地となる時期、岡崎の(松平)岩津城の支城となった時期などあり、順次拡張されていったものと思われます。主郭は土塁に囲まれていますが、その他の郭にはありません。主郭下には三日月堀が残りますが、武田の三日月堀というより、主郭に沿った空堀がたまたま三日月の形をしているという感じです。さらに、城域の数カ所に井戸跡があり、山城の水の手を確保しています。また、これは遺構ではないのでしょうが、主郭の尾根から北側へ谷を降りると猪垣の石積みが相当に長い距離続きます


【歴史】

関口経国の孫の満興が岩略寺城を築いたようです。弟の直幸が継いで長沢氏を称しました。長沢義村の時の長禄二年(1457年)に、松平信光が岩略寺城を攻めて城は子の親則に与えました。親則は長沢松平氏の祖となります。天正十八年(1590年)の家康の関東移封に伴い廃城となったようです。


  
  
  
  
  

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