東三河/ 上ノ郷城



ファイルNo0185

ミカン畑に遺構が残る

                         空堀(武者隠し)   

@ かみのごうじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 蒲郡市神ノ郷町城山 
B目標地点:赤日子神社 
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:みかん畑

F遺構等:堀・土塁・石碑
G時代/人物: 戦国期/鵜殿氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社より5分


J撮影・訪問時期:2001年01月・2003年02月
             2014年12月

  

道案内 

豊橋方面より国道23号線で来ると、ラグーナ蒲郡前の十能の二股信号で直進し国道247号線に入ります。道なりに5.6km先で右折し国道473号線に入ります。500m先の水竹の信号で左折します。 (または、東名音羽ICより三河湾オレンジロードを経由して国道473号線に入ります。) 蒲郡西部小学校の南側の道の手前300mに赤日子神社に向う参道へ右折します。赤日子神社の本殿左手に上ノ郷城の標識があります。周囲は車では入れません。赤日子神社より徒歩5分ほどで城跡に着きます。(または、若宮神社・西部公民館から徒歩で行った方が無難かも)
 
訪城コメント

城跡はみかん畑となっているものの、空堀と土塁がよく残っています。城址正面手前の土塁の上に城址碑があります。この土塁反対側には大きな規模の空堀(一面みかん畑になっていますが・・・)があり、この空堀は主郭前面に位置して武者隠しの役割もあったようです。東側は空堀から土塁を隔て切岸となり、さらに下には堀跡のようになっています。また、城址碑のところより少し西に行ったみかん畑にも南北に50mほどの土塁が残ります。

土塁の上の城址碑
歴史

鵜殿氏の本城です。築城の時期・築城者は不明です。鵜殿氏は藤原鎌足から発した熊野新宮の鵜殿に住して鵜殿氏を名乗ったされるようです。鎌倉期頃かにこの地に住したようです。鵜殿氏の戦国期は長善ー長将ー長持ー長照と続きますが、長持の時、上ノ郷鵜殿氏と下ノ郷(蒲形)鵜殿氏に分かれます。永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いで今川義元が敗死以後、周辺国人は今川氏より自立した松平氏に従いますが、上ノ郷鵜殿氏は今川氏から離反しませんでした。永禄五年(1562年)松平元康(徳川家康)に攻められ 長照(長持の子)・長忠(柏原鵜殿・長照の弟)は討ち死しました。その後は久松俊勝が城主となり 家康の関東移封後は吉田城主池田輝政の持城となりました (参考図書より )


西側のみかん畑にある土塁               郭    
  
城跡よりの風景
城跡から三河大島を遠望

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