東三河/ 宇利城



ファイルNo0133

松平清康激戦の城。埋蔵金伝説も残る城

          主郭と城址碑

@ うりじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 新城市中宇利市場 
B目標地点:     
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:土塁・空堀・井戸・石垣・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/熊谷氏
H満足度:
凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓の城址案内板より20分


J撮影・訪問時期:2002年09月・2016年03月 他

  

道案内 ←城跡  ←登城口駐車場

東名高速道豊川インタより国道151号線を新城方面に北上します。10Km先の杉山北の信号で右折し国道301号線に入り、500m先の杉山の信号で左折、さらに500m先の橋向の信号右折し国道301号線は新城橋で豊川を渡ります。渡ると庭野の信号で右折し1.5Km先の野田城大橋前でで左折します。(最近、野田城大橋が完成したので、国道151号線の稲木の信号(杉山北の1.5Km手前)で右折し1.2Km先で野田城大橋です。) 野田城大橋より3.5Km先が八名農協前の信号で、右手、八名中、八名小を越えます。1.4Km先の富岡の信号で左折し県道81号線に入ります。富岡の信号より1.5Kmほど県道81号線を進むと中宇利の信号に至り、その信号を左折します。この角に城跡訪城用の駐車場があります。左折してすぐにまた田圃の路地を左折すると右手に林道が続きますが、その最初のカーブの右手田圃の中に宇利城の案内板があり、そこより徒歩で20分ほどで宇利城に到達します。(あるいは、豊橋市街地より県道31号線を進み和田辻の信号(国道362号線と交差)より県道81号線に入りそのまま北上すると富岡の信号です。)
 
訪城備忘録
南西郭石垣

主郭を中心に三本の尾根に放射状で郭が配されてあります。大きくは主郭、主郭の西の姫御殿(二の郭)、その東下に御馬場平、主郭北側に納所平、さらに堀切挟んで郭、主郭下南西側に段郭、この段郭には石垣が二段で残ります。また、主郭南側斜面には大きな井戸が残ります、 城主熊谷氏が落城時に財宝を井戸に投げ入れたという伝説もあります。主郭を西から北に巡る堀、主郭と姫御殿のところに堀切状も明瞭です。 以前から比べれば主郭周辺は木々が伐採もされさらに見やすくなってました。石垣は南西郭だけに残っていると思ってましたが、井戸付近から主郭を見上げると諸処に石垣の痕跡も認められます。

主郭下堀
歴史

文明年間に熊谷重実にて築城されたものです。享禄三年(1530年)に、松平清康の東三河進出に抗し、その攻撃を受け落城しています。また、この戦いで討ち死にした松平(福釜)右京進親盛の墓(江戸期建立のもの)が登城道の中腹にあります。

主郭城址碑       主郭姫御殿の間の堀切
井戸                現地説明板より
  
j城跡遠望
主郭と切岸
主郭西下堀
主郭西下堀
井戸
主郭の側面の石垣?痕跡
主郭の側面の石垣?痕跡
御馬場平遠望
途中道の松平右京亮戦死の場所
現地説明板より

近くの城・関連の城: 比丘尼城 ※