尾張 品野城



ファイルNo1243

    城跡遠景

@ しなのじょう 
  別名 秋葉山城

A住所:瀬戸市上品野町 
B目標地点:稲荷神社・秋葉山 
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林 

F遺構等: (堀切・土塁)
G時代/人物:鎌倉期/大金氏
H満足度: 途中断念
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  途中断念

J撮影・訪問時期:2006年02月

  
城の発掘現場

【道案内】

東海環状道瀬戸品野インタを下り、国道363号線の交差点、上品野の信号で右折し国道を岐阜県方面に進みます。600m先で交番を過ぎた辺りで右に入る路地がありそこを右折すると稲荷神社です。この裏山が城跡です。



【訪城備忘録】

神社に犬を散歩されている方が、城山は東海環状道のフェンスがあるから稲荷神社からでは入れない。山の側面から沢を登るといいと言われてました。しかしながら、この日は雨模様であったため登るのはやめにしました。稲荷神社から対岸、反対側の丘陵を見ると発掘調査をしていました。その方曰く、バイパス建設に先立つ古窯と城の発掘調査だとのことでした。上品野の信号から名古屋商科大学方面に行って見ましたが、発掘現場の入口がわからずここも断念しました。


【歴史】

建保年間(1213〜1219年)頃、山田重忠の家臣の大金重高が築城したとされます。南北朝期の延文三年(1358年 <正平十三年=南朝暦>)戸田頼房が信州よりここに移り住みました。応永年間(1394〜1428年)末頃には戸田氏はここを離れ、変わって織田信秀の家臣の坂井秀忠が居城しますが、享禄二年(1529年)に松平清康に攻められ落城しました。秀忠は自刀しますが、一族は片草に逃れました。城は松平信定が城主となり、家重、家次と続きますが、永禄三年(1560年)に桶狭間の戦い前に織田信長に攻められ落城しそのまま廃城となりました。

  
発掘現場の尾根先端
(砦の跡の発掘調査済部分らしいです)
  
  

近くの城・関連の城:片草城