尾張 | 上条城 |
ファイルNo0936 |
@ じょうじょうじょう |
道案内 | |||
東名高速道の春日井インタを下り、国道19号線を名古屋市内の向かいます。3.5km先の瑞穂通5丁目の信号で左折し県道25号線に入ります。1.4km先(JR春日井駅を越えたところ、上条小学校そば)の上条跨道橋南の信号を左折します。100m先の信号をさらに路地へ直進した先の左手が城跡です。 |
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訪城備忘録 | |||
「かみじょうじょう」ではなく「じょうじょうじょう」なんすね。主郭の路地道沿いに林氏の石碑が建っています。以前は、古い家と鬱蒼とした屋敷森のある一帯でした。2007年にこの周辺は一切取り壊され、発掘調査の後、開発されたそうです。2008年11月に立ち寄って見ましたが、確かに建物は無くなり、木々は伐採されて、2/3は駐車場になってましたが、フエンスで区切られた西側と北側にL字に土塁と堀がまだ残されていました。夜に立ち寄ったため、写真には収められませんでした。 2020年再訪しました。2008年同様に土塁がL字に残り、角部は相当に高く、「人呼びの丘」と呼ばれるらしく、櫓台であったようです。土塁の外側には堀も残るようでが、一応フェンスがあるため、中に立ち入ることはやめました。土塁の下部には大きな石列が並んでおり、石垣の一部?なんでしょうか。 |
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建保六年(1218年)に今井兼平の孫の小坂孫九郎光善の築城したものと伝わります。子孫はその後近江に移りましたが、南北朝期は上条氏が支配したようです。その後、小坂重之は近江から当地に戻り、名字を小坂から林に改名しました。永禄・元亀年間には、弘治二年(1556年)、吉田城城主の小坂久蔵が討死した後、織田信長は久蔵の遠縁の前野宗吉に小坂家を継がせ、改名した小坂孫九郎雄吉が吉田城とともに上条城も二万四千石で支配したようです。雄吉は織田信雄に従ったようです。天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いでは、帰農していた林盛重の子の林重登は池田恒興の要請を受けて上条城を修復し三河攻撃の途中にこの城でに一時休息したと伝えられます。小牧長久手の戦い後に上条城は破却され、跡に林重登がこの地に屋敷を構え、江戸期を通じて林家は大庄屋であったようです。幕末の当主は林金兵衛重勝で、石碑にある方です。 |
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