尾張/ 小牧山城



ファイルNo0637

                     主郭下石垣(発掘調査前)             

@ こまきやまじょう 
  別名  −−−−−

A住所:小牧市小牧
B目標地点:小牧警察署
C形式:平山城  D比高:60m 
E現況:公園・山林・市街地

F遺構等:竪堀・堀・土塁・石垣
G時代/人物: 戦国期/織田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  北駐車場から20分

J撮影・訪問時期:2001年03月・2019年05月 他

  

道案内  

名神高速小牧ICを下り、国道41号線を名古屋市内方面へ、信号2つ目、村中新町南の信号で左折し旧155号線を東へ進みます。500m先の警察署前の信号で右折してすぐの駐車場に入ります。ここの駐車場は前は完全無料でしたが今は時間を過ぎると有料になります

訪城備忘録

駐車場よりすぐのところに麓を巡る土塁の断面が展示されています。北麓から東麓にかけて巡る土塁内側には武家屋敷があったとされています。ここは、小牧長久手の戦いの際に徳川家康の本陣にもなってますので、麓の巨大な帯郭は兵站基地であってでしょうし、その際築かれた土塁もあります。南の小牧市役所から登りますと西側山麓に大きな竪堀があり、さらに西側に土塁が巡る郭があります。山頂には資料館である模擬天守が建っていますが、この主郭下西側に石垣が僅かに残ります。

2018年頃まで発掘調査され、多くの石垣検出などされています。 2019年春には発掘調査は取りあえずは落ち着いてました。山頂下の帯郭状の周囲には発掘調査時のパネル写真が数多く掲示してありました。また、石垣の裏込め石が三か所に集積されていました。山頂部の発掘はそれなりに行われた感じですが、中腹は今もなお鬱蒼とした森ですので、どのような遺構があるのかが良くわかりません。

模擬天守(資料館)
歴史

永禄六年(1563年)織田信長が築城し清洲城より移ります。永禄十年(1567年)美濃の斉藤龍興を破り稲葉山城(岐阜城)に移り小牧山城は廃城となります。天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いの際、徳川家康はこの地をすばやく抑え改修しましたが、戦いが終わった後は再び廃城となりました。

      竪堀?       西側山腹の郭の土塁
山麓の土塁      山頂下石垣
小牧山
現地案内板より
  
西側石垣
西側石垣
南側石垣
帯郭下石垣
裏込め石の集積
岩盤の石垣痕跡
中腹北側の堀状(遺構かは?)
南からの最短コースに見る高さのある切岸
麓の土塁
麓の帯郭と土塁
麓の帯郭を区分けする空堀
麓の帯郭と土塁
麓の帯郭と土塁
麓の帯郭の虎口土塁

近くの城・関連の城:清洲城