尾張/ 黒田城



ファイルNo0629

               城址碑   

@ くろだじょう 
  別名 

A住所:一宮市木曽川町黒田
    旧:葉栗郡木曽川町 

B目標地点:黒田小学校 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:小学校・宅地 

F遺構等:碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/五藤氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2004年06月

  

【道案内】 

東海北陸自動車道一宮木曽川インタを下り、国道22号線に出てすぐの大毛西の信号を左折します。県道175号線に入り1.6Km先でJR線の踏み切りを越えるとすぐ右手が黒田小学校です。線路沿いに右折して学校の東北側に城址碑があります。名鉄名古屋本線の駅としては黒田駅ではなく、新木曽川駅が近いです。



【現況・訪城記録】

小学校の隅に小公園があり、ここに城址碑があるのみです。
ここは山内一豊の生誕地のひとつです。岩倉が生誕地という説もあります。


【歴史】

明応年間(1490年代)に五藤源太左衛門にて築城されたとされます。その後、岩倉城主織田伊勢守信安は家老の山内但馬守盛豊をこの城の城代として入れました。弘治三年(1557年)に盛豊が討死しした後は、犬山城主の織田十郎左衛門尉信清は弟の広良が城主となりますが、永禄五年(1562年)に広良が軽海の戦いで戦死し、信清の家臣である和田新助が城主となりましたが、天正二年(1574年)の長島の戦いで討死し、弟の和田定教が継ぎました。天正十年(1582年)には織田信雄の家老の沢井雄重が城主となり、天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いでは黒田城を死守しました。天正十八年(1590年)に織田信雄が改易されたため、黒田城には3万5千石で一柳直盛が城主となり、慶長五年(1600年)には一柳直盛が神戸(伊勢)に5万石で転封、黒田城は尾張を所領とした松平忠吉の支城となり、家臣の富田忠繁が在城しましたが、しばらく後に廃城となりました。<現地案内板より>

  
  
     
  

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